帯広で映画を観た!シネマ de 十勝は、帯広で働く腐女子。「総統」と呼ばれた女子が、身の回りの幸せ(美味しいご飯・趣味・脳内妄想など)で足るを知る小市民として、十勝の観光文化検定(とかち検定)上級合格の実力を発揮しつつ、帯広・十勝の話をしつつ、映画を語るコラムです。今週の映画は『十一人の賊軍』です。
前回のコラム「帯広で映画を観た!」はコチラ
『十一人の賊軍』は集団抗争時代劇。PG12指定映画です。
この映画は戊辰戦争時の、新潟・新発田(しばた)藩を題材に取った時代劇です。
先週紹介した『八犬伝』は、斬ったり斬られても血しぶきが飛ばず、傷の軽重が見た目で分かりにくい作品でした。
(あれは『虚(フィクション)』パートの出来事でもあったので、あれでいい)
一方、『十一人の賊軍』は集団抗争時代劇。
刀で斬ったり焙烙(ほうろく)玉で吹き飛ばしたり、血や肉片が飛び散り、切断面をふんだんに見せてくるPG12指定映画です。
訳ありそうな老人が出てきて無双するのは、時代劇のお約束事として、良い!
山縣狂介=後の有朋(玉木宏)も登場し、強い「爺っちゃん(作中で周囲から呼ばれる名前)」(本山力)が出て来ると、どこか懐かしい思いがしました。
(『ゴールデンカムイ』的な波動を感じました)
密かに官軍(新政府派・薩長軍)側につくことを望みながら、周囲を賊軍(旧幕府派・奥羽越列藩同盟軍)に囲まれた新発田藩。
官軍の進軍が迫り、双方からどちらにつくか旗色を鮮明にすることを迫られる中、官軍と同盟軍との鉢合わせを回避し、また新発田を戦火から守るため、家老の溝口内匠(阿部サダヲ)は一計を案じます。
そこで、賊軍になりすまし官軍を足止めするよう命じられたのが、死罪を待つ10名。
「任務を終えた後は、無罪放免」を約束された罪人達は、新発田の決死隊メンバーとともに、新発田に入る砦を守ることに。
『賊軍』とは、戊辰戦争における官軍・賊軍の別だけではなく、本当に賊たちからなる混成軍のことだったのかー。
それ以上に気になるのが、罪人は10人で「11人目の賊軍は誰か?」という点ですが、そこは本編をお楽しみに!
不条理も描かれ勧善懲悪でもないが、不思議と後味は悪くない
主人公二人は、妻を凌辱され新発田藩士を手にかけた政(山田孝之)と、血気盛んな決死隊メンバー・鷲尾兵士郎(仲野 太賀)。
当然ながら、主人公とはいえ政には新発田に尽くす義理もなく、何度も逃げようとします。
そのたびに兵士郎の株が上がり、逆もまた然りという、二人がお互いを引き立て合う存在です。
10名の罪人達は、女犯の僧だとか一家心中の生き残りだとか、全員が戦闘力に長けた精鋭ではありません。
辻斬り等はいても、手練れのスナイパーが急遽登場するでもなく、各人の元々持っている能力・知識で奮闘するお話です。
強いとは思えない寄せ集め集団だからこそ「こんなに心許ないメンバーで、どうなっちゃうの!!??」と安心できないわけで。
映像に華やかさや美しさはないけれど、「話の先が気になる!!」と中だるみすることなく、引っ張っていってくれます。
主人公は多少あっても、大半の罪人の罪状は、ほぼ映像もなしにセリフだけで説明されます。
罪に限らず、「今」にフォーカスして過去はあまり掘り下げられません。
これは、あくまで見せたいのは砦での戦い(アクションシーン)であって、むしろ人物への過度な感情移入や共感を制作側が求めていないからの所作のように感じられました。
何せ極限すぎる上、『切った張った』の繰り返しのアクション映画。
無理すぎる状況は『ゴジラ -1.0』似ていても、全年齢向け怪獣映画のパッケージではない以上、生存率が高いはずもなく……。
状況が状況だけに、全員が無事生存するハッピーエンドになるはずもなく、誰かしら消えるの前提だからあ……。
そんな訳で、弱い立場の側が強いられる不条理も描かれ、最後は勧善懲悪にもなりません。
『十一人の賊軍』は個人のエゴの話でもあり、新発田藩や大義という「大いなるもの」のためにズルをしたり目をつぶる中間管理職の話でもあります。
だから家老の溝口は悪いヤツといえば悪いヤツでもありますが、単純に悪とか「正しい、正しくない」で決めつけられる存在でもない。
腹は立つけれど、分かる部分もあり、最終的に「後味は悪くない」映画でした。
爽快感とか痛快感は薄いはずなのに、大半の登場人物が自分の信ずるところに従って行動しきったからか、戦い切ってくれたからなのか……。
ですからこの感覚、激しめの時代劇やアクション映画を見慣れていない人・そういうのが好きじゃない人にまで通用するのかは、分かりかねます。
不満はなし!でも少しだけ字幕が欲しかった
大体、私など人の顔の見分けがつきにくいというのに、タイトルからして登場人物過多!!
キャラクターに合わせてがらりと風貌の違う役者さん達だったので、割合分かりやすくて良かったです。
「医学の勉強がしたくてロシアに密航しようとした」から呼び名が「おろしや」とか。
それでも「この人誰だっけ?」「何の罪を犯したんだっけ?」とはなりましたが、進行には問題ないので……。
(それよりも新発田の若い決死隊の人たちの方が、判別無理でした……)
それよりも難を感じたのは、見分けよりもセリフ……。
日本映画とはいえ「字幕が欲しい……!!」と思った次第です。
決して音が小さいわけではなく。(むしろ冒頭の砲弾の音が大きすぎて、その直後は耳が「ぼわん」ってなってたくらいで)
薩長の人にせよ奥羽越列藩同盟軍の人にせよ新発田の人にせよ方言指導の人がいるくらいで……。
大方は分かっても、「ん?」という時があり……。
字幕が入る特別上映が一部期間限定で実施されているらしいですが、そういうのではなくとも「字幕、入れてくれてもいいんですよ……?」という気持ちに、ちょっとだけなりました。
かつて、帯広にも遊郭があった
さて『十一人の賊軍』には遊女が登場します。
そこで帯広にもあった遊郭の話をしましょう。
今は通りに名前が残るだけで、建物などは残っていない「木賊原(とくさわら)遊郭」です。
「TOKUSAHARA」表記も時々見かけられますが、過去の遊郭に触れた地元紙の過去記事でも看板で多いのも「TOKUSAWARA」表記です。
現在の西五条〜西七条・北四丁目〜五丁目エリアにあったという木賊原遊郭。
そこからほど近い、現在はふれあい公園に、かつて遊女達の駆梅院(性病を診察し治療した病院)が建っていたといいます。
大正9年の最盛期には9軒が営業し100人を超える遊女が所属していたものの、私娼が増えたことで衰退し、昭和21年の公娼制度廃止で姿を消しました。
『十一人の賊軍』の中では、新潟だけに「黒い水(石油)」を使った「焙烙玉」が登場しますが、木賊原遊郭では「男が惚れた遊女を道連れに、ダイナマイトで心中した」事件もあったといいます……。
参考:十勝毎日新聞2000年1月21日付紙面「十勝20世紀」第3部 事件・事故編(1)
この場合『心中』といっても「一方的な思い込みに巻き込まれただけなのではないか?」という気がしないでもないんですが……。
本能やエゴがむき出しになった人間の荒々しさ、そんな極限条項に追い込まれる不条理さは、現実であれば時に醜く生臭い。
そんな状況を描きながらも、爽快でも痛快とも名状しがたいのだけれど、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』のような重さと後味の悪さもない。
フィクションだからと突き放して、どこかスッキリするような不思議な感覚を得られた『十一人の賊軍』でありました。
PROFILE
三崎 裕美子 | 腐女子 / 総統
1980年生まれ。北海道帯広市出身|釧路→新橋のサラリーマン(港区女子)→などを経て基本帯広で働く腐女子。「総統」と呼ばれた女。しかしてその実体は、身の回りの幸せ(美味しいご飯・趣味・脳内妄想など)で足るを知る小市民。十勝の観光文化検定(とかち検定)上級合格。同年生まれのハリー・ポッター氏が通うホグワーツ・スリザリン寮に組み分けされたかったゲラート・グリンデルバルド信奉者。