【連載】美学者 上野悠の「美学でひもとく世界」
eSportsはスポーツ?
eSportsとは、主に対戦型ビデオゲームを用いた競技を指す言葉ですが、ここ数年でこの言葉はかなりの勢いで浸透してきています。ついこのあいだも札幌で『Apex Legends』というFPSゲームの大会が開催され、話題になっていましたね。
そんなeSportsシーンの盛り上がりもあって、哲学でもeSportsを扱う動きが出てきています。では、どんな分野でそんな動きが見られるのかというと、それは「スポーツ哲学」です。スポーツ哲学はその名の通り、スポーツにまつわるあれこれを対象にして哲学的分析を行う分野なのですが、近年ではeSportsに関するトピックが次々と論文にされています。
eSportsを扱った論文は、例えば、eSportsがスポーツの一種であることを擁護する論文や、逆に除外しようとする論文、eSportsがスポーツに与える影響を考察する論文など、その論点は多岐にわたります。論者によって様々な立場がありますが、eSportsの出現によって、スポーツという概念に関して、何かしらの再考が促されているのは確かなようです。
eSports「ならでは」の要素を考える
そんな中で、ひときわ盛り上がりを見せているのが、サッカーや徒競走などといった、それまでのスポーツ(以下、「伝統的スポーツ」と呼びます)とくらべたときの、eSportsの特徴とは何か、という方向性の議論です。今回は、その中でも、eSportsと伝統的スポーツの「動作」に着目してこれらの共通点や相違点を浮き上がらせようとする研究を、ご紹介いたします。伝統的スポーツとeSportsのちがいなんて、一見すると明らかなようにも思えますが、それを突き詰めて考えることで、eSports「ならでは」の特徴が浮かび上がってくるのです。
マイケル・ヘミングセンによる「動作圧縮説」
台湾の東海大学の哲学者、マイケル・ヘミングセンは、「動作圧縮(movement compression)」という概念を使って、伝統的スポーツとeSportsの違いを説明し、動作圧縮からそれらを理解することの有用性を示そうとします。その前に、まずは先行研究から、伝統的スポーツとeSportsの違いを説明する、候補となるような他の理論を整理し、それらの問題点をあぶりだします。
全身の身体活動と微細な身体活動
まず、考えられるのが、「身体動作」に注目する説です。サッカー、野球、テニスといった伝統的スポーツは、身体的動作の技能が重要となります。この点はチェスや将棋などのいわゆる「マインドスポーツ」と比較することで際立ちます。マインドスポーツでは、例えば「駒を動かす」などの身体的動作が含まれることがありますが、駒をどのように動かすかは、ふつう、チェスの試合結果に影響を及ぼしません。
一方で、eSportsにおいては、伝統的スポーツと同じく、身体的動作がかなり重要になってきます。例えば、FPSやTPSといったシューティングジャンルにおける「エイム(敵に狙いを定める技術)」や「キャラコン(操作キャラクターを動かす技術)」と呼ばれるような動作の上手い下手は、勝敗にきわめて大きな影響を及ぼします。しかし、その身体的動作は、伝統的スポーツと比べてかなり違うよう思われます。
そこで取り上げられるのが「全身の身体活動(gross physical activity)」と「微細な身体活動(fine physical activity)」という区別です。バスケットボールで見られる動きのダイナミックさと比べて、FPSに要求される動作は、指先や腕に限定される、どちらかというと細かで繊細な動きです。伝統的スポーツとeSportsの違いを身体動作の「全身/微細」の違いに訴えて説明するのは、わたしたちの直観にも反さない、よい着眼点のように思えます。
全身の/微細な身体活動という区別の問題点
しかし、ヘミングセンはこれを却下します。この区別はバスケやサッカーのようなスポーツだと有効なように思えますが、例えば、射撃競技とFPSを比べた場合、両者は似たような身体動作を要求し、前者のみが「全身」を使った動作である、と十分な根拠をもって主張することが難しくなりそうです。また、最近では、モーション・キャプチャにより、全身の動作で操作するタイプのゲームも増えてきています。それらはまだeSportsとして見做されることはあまりありませんが、競技的にプレイされる場合もあるため、やはり「全身/微細」の区別は有効ではないように思えます。
バーチャルとリアル
二つ目の区別するための方法案は、eSportsの「バーチャル性」に注目することです。これは、伝統的スポーツが現実世界での物理的な活動であるのに対し、eSportsは仮想世界での非物理的な活動であるという区別です。伝統的なスポーツとは異なり、eSportsでは、プレイヤーはビデオゲーム内の「仮想空間」に自分を適合させてプレイしなければなりません。この点は、『スーパーマリオブラザーズ』を想像してみるとわかりやすいかもしれません。「マリオ」のジャンプは現実では考えられない軌道を描き、さらにはその軌道をプレイヤーはある程度操作することができます。
バーチャル/リアルという区別の問題点
しかし、ヘミングセンはこうした仮想/非仮想という区別にも疑問を投げかけます。eSportsの選手は、サッカー選手や野球選手とは異なり、日常とは異なるゲーム内の世界で動き、行動します。プレイヤーはモニター越しにゲーム世界を知覚し、コントローラーや、キーボード・マウスを用いて、ゲーム内のバーチャルな世界に没頭するなかで、次第に操作しているキャラクターと自分を同一視するようになっていきます。そうなると、プレイヤーはもはや自分の指を操っているのではなく、ゲーム内の操作キャラクターを操っているという印象を持ち、ゲームの中で身体性を感じることができるようになるかもしれません。
これに対して、eSportsは細かな視覚的・聴覚的感覚を伴う一方で、伝統的なスポーツのような包括的な触覚的感覚には欠けていると言う人がいるかもしれません。この点を重視するならば、伝統的スポーツとeSportsを区別する十分強力な理論になります。
しかし、ヘミングセンは、仮想/非仮想の区別は、現状では実際に成り立つかもしれないが、これは確かに原理的な区別ではなく、遠くない将来、克服される可能性のある区別である、と主張します。ヘミングセンは、センサーによってプレイヤーの身体動作を追跡し、それをゲーム内の動作に変換する技術を取り上げます。このような技術のもとでは、プレイヤーは現実空間での動きをフルに活用する必要があり、現実世界のスポーツに伴う痛みや疲労の多くは、このような「バーチャルスポーツ」でも同様に生じると考えられるのです。
実行領域/適用領域
最後にヘミングセンは、「実行領域」、「適用領域」という区分による方法を取り上げます。実行領域とは、行為者の動きが「どこで」起こるかという問題にかかわるものであり、適用領域とは、行動の結果が「どこで」得られるかという問題にかかわるものです。ちょっとむずかしいですが、つまり、eSportsと伝統的スポーツの違いは、伝統的なスポーツでは実行領域と適用領域が同一であるのに対し、eSportsではそうではないという点にある、ということです。
例を挙げて説明しましょう。野球においては、バットでボールを打つ動作を行う「領域」は、動作の結果である、ボールが飛ぶ、という事態が起こる「領域」とまったく同じです。一方で、eSportsの場合は、そうではありません。マウスのクリックが行われる「領域」と、キャラクターが攻撃を繰り出す「領域」は異なります。
実行領域/適用領域という区別の問題点
しかし、この区別方法も、ヘミングセンは却下しようとします。理由としては、第一に、「この違いが、単なる偶発的な違いではなく、生産的で示唆に富むものである理由が明確にされていない」こと、第二に、「適用領域と実行領域が同じでありながら、直感的にはスポーツというよりeSportsに近いと思われる活動があること」を挙げています。この点については、ジム・パリーという別の研究者が提示した、ロボットを用いた戦いを例に挙げることで、わかりやすく説明されています。
ロボットを操作して戦わせ、勝敗を決める「ロボット・ウォーズ」は、サッカーや水泳といった伝統的スポーツよりも、eSportsとのほうが、直観的に言って、共通点が多いように思われます。しかし、ロボット・ウォーズにおいては、実行領域と適用領域は全く同じなのです。
「動作圧縮」とは
伝統的スポーツとeSportsを区別する、という問題に答えようとする、3つの理論を却下し、ヘミングセンが提唱するのは、「動作圧縮」と彼が呼ぶ概念を用いた説明です。「動作圧縮」とは、ざっくり言うと、「最初の動作の質が、活動の結果の違いにどの程度反映されるか」ということに関わるものです。例えば、野球では、プレイヤーがバットでボールを打つ場所、バットの角度、動きの速さなどの、非常に小さな違いが、ボールの飛び方にかなり影響します。
これに対して、例えば、『Wii Sports』のゴルフでは、プレイヤーはWiiリモコンというコントローラーを使ってスイングし、ゲーム内のアバターにゴルフボールを打たせます。したがって、プレイヤーがWiiリモコンをどのようにスイングするかは、ゲームの結果に関係しますが、野球や実際のゴルフと比べてそれはある程度の範囲にとどまります。それは、『Wii Sports』 のゴルフの方が、ちょっとした動きの違いに「寛容」だからです。どういうことでしょうか。
実際のゴルフでは結果に差が出るような違いでも、ビデオゲーム版では差が出ないことがあります。『Wii Sports』のゴルフでは、現実での動きが一定の範囲内にある限り、画面上のストロークは同じになり、ゲーム上のボールはまったく同じように動くことになります。対照的に、アナログのゴルフでは、同じ範囲内のすべての動作が、ボールの動きや行き着く先に違いをもたらします。この意味で、『Wii Sports』のゴルフでは、プレイヤーの動作は「圧縮」されているのです。しかし、このことによってヘミングセンは動作圧縮を含んだプレイが、熟練した行為になり得ないと言っているのではない、と注意を促しています。あるプレイが動きの圧縮をより多く、あるいは、より少なく含んでいると言っても、それがより正当であるとか、価値があるとか、あるいはそれらの逆、といったことを示すものではないのです。
「動作圧縮」はふつうのスポーツを理解するのにも役立つ?
ヘミングセンは「動作圧縮」という概念によって、eSportsに関して、新しい洞察が得られると主張しています。「動作圧縮説」を採用するメリット、ですね。その一つとして、彼は、「動きの圧縮がeスポーツのようなバーチャルなアクティビティを考えるためのツールを与えてくれており、この問題に関する常識的な直観を捉えていること」を挙げています。
例えば、動作圧縮説は、eSportsをスポーツだと見なす人と、そうでない人に分かれる理由が説明できます。eSportsをスポーツとして支持する人たちがいるのは、eSportsは純粋に高度な技術を必要とする動きを伴うアクティビティであるからであり、この点を動作圧縮説はカバーできています。一方で、eSportsをスポーツとしてみることに反発する理由も説明できます。それはつまり、eSportsにおける動作は圧縮されているために、伝統的なスポーツにおける動作とは違うものだからです。
また、動作圧縮という概念は、さまざまな伝統的スポーツを分析するのにも役立ちます。例えば、射撃とアーチェリーはよく似ていますが、なんとなく、両者には違いがあるように思われないでしょうか。アーチェリーでは、矢の飛び方は弓の持ち方や向いている方向だけでなく、弓の引き方にも大きく左右されます。一方で、射撃では、引き金をどのように引くかは、重要ではあるものの(狙いがずれないように引くなど)、引き金を引くことは照準の問題に影響を与えない限り、常に同じ結果につながります。
したがって、射撃はアーチェリーよりも動きの圧縮の度合いが高いとすることができ、これによって、2つの活動の直感的な違いを説明することができるのです。このように、動作圧縮という概念を用いることで、eSportsだけでなく、伝統的なスポーツにおける様々な疑問や、よくよく考えてみると不思議な直観について、興味深い着眼点を与えてくれるかもしれません。
美学者とは
美学者の役割
- 【美的判断】なぜある人が「美しい」と感じる対象を、別の人は「そうでもない」と思うのか
- 【芸術作品の価値】作品が私たちの感性に与える影響を、どう評価し、言葉で説明できるか
- 【日常の美】ファッションやインテリアなど身近なところに潜む「美しさ」をどのように考えるか
こうした問いに取り組むのが美学者の役割です。近年では、ゲームの体験やデザイン、スポーツや身体表現、さらにはSNSなど、従来は「美学」とはあまり結びつかなかった分野にまでその探究範囲が広がっています。哲学や芸術学と深く関係しながら、現代社会のあらゆる「感性の問題」に光を当てるのが、美学者と呼ばれる人々なのです。
【PROFILE】
北海道帯広市出身。早稲田大学文学研究科博士後期課程在籍。専門は、ゲーム研究、美学。主な論文に、「個人的なものとしてのゲームのプレイ: 卓越的プレイ、プレイスタイル、自己実現としての遊び」『REPLAYING JAPAN 6』、「ゲームにおける自由について──行為の創造者としてのプレイヤー──」『早稲田大学大学院 文学研究科紀要 第68輯』。ゲームとファッションとタコライスが好き。