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美学者 上野悠の「美学でひもとく世界」| 「退屈しのぎ」としてのゲーム ──スポーツの限界、卓越性の終わり 007

【連載】美学者 上野悠の「美学でひもとく世界」

ゲームはただの娯楽、そう思われがちですが、哲学や美学の領域で考えてみると、意外な発見がたくさんあります。いったい、ゲームはなぜこんなにも私たちを惹きつけるのでしょうか。大学院で「ゲームの哲学」を研究している美学者・上野悠が、ゲームをめぐる最新の思想を紹介しつつ、その魅力を多角的に掘り下げます。

ゲームは退屈から逃れる手段

ゲームという存在物が持ちうる、最も偉大な機能とは、我々人間につきまとう「退屈」をまぎらわせてくれることかもしれません。哲学者のJ・S・ラッセルは、退屈とゲームやスポーツとの間にある関係を解き明かそうと試みています。

ラッセルによると、スポーツやゲームは退屈からの重要な解放手段となり得るという考え方は、スポーツ哲学の分野では常識となっており、彼はこうした考えを「退屈しのぎ説」と呼んで、この考えをより深く理解し、発展させることを目的として、議論を進めていきます。

退屈の持つポジティブな力

一般的に言って、退屈は不愉快で、できれば避けたい経験ですが、ラッセルはむしろ退屈にポジティブな意義を見出そうとします。ラッセルは、退屈は、私たちの生活において、「遊び」を動機づけるものとしてポジティブに捉えるべきだと主張します。退屈は、遊びを促したり、新鮮で有意義な行動のための新たな機会をもたらしたりするものとして、人間の余暇文化の多くを根本的に推進するポテンシャルを秘めているのです。

ラッセルは退屈の持つ創造的な可能性に注目しますが、そんな退屈を解消しようとする力と強く結びつく、スポーツやゲームはむしろ、段々と退屈しのぎとしての機能を失っていってしまうという、ひとつの「パラドクス」についても明らかにしようとします。議論を進めていくために、ラッセルはまず、退屈とは何か、というところから整理を始めます。

退屈とは何か

 

心理学者のジェームズ・ダンカートとジョン・イーストウッドによる著書、『Out of My Skull: The Psychology of Boredom』(2020年)を参照し、退屈という概念を整理しようとします。彼らの研究によると、まず、人間は、自らの決定をともなう形で世界とつながりたいという欲求を持っています。退屈とは、こうした「自己決定」や「世界とのつながり」が満たされていないことに対する生物学的な警告であり、満足のいく活動に従事したいという欲求があるにもかかわらず、それが果たされないという不快感であるとしています。

逆に言えば、退屈することは、身の回りの環境との有意義な関わり方を模索し続ける、われわれの行為者性を維持するための能力でもあるのです。したがって、退屈は、私たちが自身の置かれた状況を省みて、より充実した有意義な生活を送るための機会を創出または追求するためのツールであるとも考えることができます。ですから、退屈を感じてしまうことは、その人の意志の弱さや人格的な欠陥であるとするのではなく、退屈が生じたときには、そのことを真摯に受け止めるべきであると、ラッセルは主張します。

ラッセルは続いて、スポーツやゲームと退屈との関係についての、補足的な説明を加えます。というのは、人は、自分のスキルや才能を活かすような形で、精神的に集中しているときであっても退屈を感じることがあるということです。例えば、野球の外野手が、試合で、いつもと違った経験をするために、いつもとは別のポジションにつくことがあります。この例から示唆されるのは、スキルや才能を活用することが、退屈を回避する最も大きな手段になるとは限らないということです。様々な種目のスポーツ選手たちは、新しい経験や挑戦に挑むことによって、そのスポーツへの興味を維持し、退屈を回避し、理解を深めようとしているのです。

新奇性と遊び

ここでラッセルは、退屈の解消につながるものとして、もう一つの重要な要素を提示します。それが、「新奇性」です。ラッセルは、ゲームやスポーツのプレイヤーが技術を追求するのは、熟達した技術を発揮することより、それによって得られる「新奇性」が目的となっていることも多いと主張しています。外野手がしばしば別のポジションを守るのは、そうすることによって、いつもとは違う、新鮮な「行為者性」を経験する為であると言えるでしょう。さらにラッセルは、こうした新奇性をめぐる動機づけは美的なものであり、新奇性は美的な経験として評価されることを示唆しています。

新奇性は、人間が退屈から逃れるため主要な手段である「遊び」とも強く結びつきます。ラッセルは、社会学者のブライアン・サットン=スミスによる著作(『The Ambiguity of Play』1997年)を参照し、「遊び」とは、魅力的で楽しいと感じるような新奇性を探求するものであり、人間の経験や技能の境界を広げるものである、としています。スポーツやゲームは、この意味で「遊び」の延長線上にあるものなのです。

新奇性は、ゲームやスポーツをするモチベーションの説明にもなります。人工的に作られた管理された環境で、さまざまなルールや制限のもとで競争したり、的を狙って得点を競ったりすることには、日常的な運動とは異なる方法で身体や認知能力が発揮されます。これらは、人が行う馴染み深い行為や技能の新たな活用法であり、さらには、そうした日常的な行為や技能を価値づけするための、新しい視点を提供してくれるのです。

ゲームやスポーツは、上達すればするほど遊びでなくなっていく

遊びとスポーツ・ゲームと新奇性のつながりは、「退屈しのぎ説」という仮説の魅力を説明するのに役立つ一方で、新奇性と退屈の関係は、これまで説明してきたよりも複雑であるとラッセルは言います。スポーツは遊びから生まれたものであり、遊びというものが根本的に新奇性につながっているのだとすれば、スポーツを遊び心のあるものにし続けるということは、スポーツの中にある新奇性を守り、育むことを意味します。しかしラッセルは、そうしつづけることは困難であると指摘します。なぜならそれは、スポーツには、新奇性の喪失に起因する退屈の傾向が必然的に存在しているからだと、ラッセルは言います。どういうことでしょうか。

ラッセルが言うには、あるスポーツに対するプレイヤーの理解が深まるにつれ、そのスポーツは徐々に均質化していき、結果、戦略、スキルの開発や実行といった主要な面における新奇性が制限されていってしまうのです。その結果、さまざまな意味で、「意義のある行動」の機会が制限されていくことになります。というのも、まず、人間の能力には限界があり、限界に近づけば近づくほど、変化の幅も小さくなっていってしまうのです。その結果、退屈の条件が揃いやすくなっていきます。

プロスポーツの選手やファンの観点からすると、そのスポーツにおける技術レベルが向上していくにつれ、新奇性が減少し、突出して卓越したプレイヤーが少なくなり、スキルが均一化していく傾向にあるため、均質化はどんどん進んでいきます。選手のスキル全体が人間の限界に近づくにつれ、選手が他の競技者から際立つ余地が少なくなるため、新記録はそれほど際立ったものでなくなり、「達成」を得るのがより困難になっていきます。また、対戦相手に関するデータや知識もますます正確に数値化されるようになり、お互いに対応策が絞られていくため、バラつきがさらに少なくなっていきます。このことは、「戦略」についても同じことが言えます。

さらには、こうした現代的なデータ主導の環境が加速していくことで、スポーツのもう一つの大きな魅力である「結果の不確実性」も失われていく傾向になることが考えられます。こうした事態に対し、そのスポーツのルールを変更していくことで、プレイの多様性と創造性を再び取り入れることもできます。しかし、ラッセルが言うには、たとえそのようにして一時的にスキルのバリエーションを増やしても、人間の能力が頭打ちになっている以上、同じプロセスが繰り返されていくだけになる上に、そうした改善策が常に効果的に働くとも限らないのです。

このように、スポーツやトレーニングに対する理解が進み、人間の限界に近づくにつれ、卓越性の表れかたはより画一的になり、私たちはもう新しい何かが見られることはなくなっていってしまうのかもしれません。スポーツの運動能力や戦略における急進的または驚くほど斬新な革新は、ますます起こりにくくなっていくことが考えられます。スポーツやゲームは、「攻略」が進むにつれて、どんどん「遊び」の要素が失われていくことになるのです。

スポーツの未来はどうなるのか

それでは、技術レベルがどんどん飽和していっている、スポーツという領域の未来はどうなっていくのでしょうか。ラッセルは、特に「真剣勝負」やプロスポーツの範囲で、スポーツにおける遊び心や新奇性が失われていき、予測可能で、より厳格で深刻なものになることは避けられないと述べています。そんな中で、スポーツがまだ有力な「退屈しのぎ」でいつづけるためには、どんな条件が考えられるのでしょうか。

ひとつの可能性としては、鑑賞者であるファンたちの「鑑識眼」が向上していくことが挙げられています。ファンは、自分が観ているスポーツの「目利き」になることで、卓越性の微妙な違いや新奇性を評価できるようになることで、スポーツは興味深い娯楽でありつづけることができます。そのためには、専門知識と微妙なニュアンスや繊細さの理解が必要ですが、現在では鑑賞者もこれまで以上に多くの情報を入手することができるようになってきており、スポーツ観賞側のレベルも上がってきていると十分に考えられます。また、並外れた偉業が達成される可能性は低くなっているとはいえ、達成されることが不可能になったわけではなく、それらを期待することはまだ十分に可能です。

しかしながらやはり、ラッセルは、娯楽や退屈しのぎとしてのスポーツへの期待は、以前よりも控えめなものになっていくと考えています。スポーツにおける卓越性の余地は少なくなり、画一化が進んでいき、「遊び」はほとんどなくなっていくだろうと、彼は述べています。そのような不可避的な衰退の中でも、依然として鑑賞やプレイを楽しむことはできるし、そうするべきだ、というのが、これまでの議論を踏まえたラッセルの意見です。正直かなりシビアな感じがしますね。

ここからはラッセルの見解を受けた私の意見ですが、私はラッセルよりはやや楽観的な立場をとることになりそうです。というのは、ラッセルが言うほど「新奇性」が重要なものだと考えていないからです。例えば、音楽においても、私たちは、時折気に入った曲を何度も聴き続けることがあるでしょう。そのとき、その曲から得られる美的価値は、繰り返し聞くことによって大きく損なわれてしまう、ということはあまりないように思われます。確かに、最初に聴いた時ほどの衝撃は、二回目以降にはないかもしれないし、何度も聞くうちに飽きが来ることもあります。しかし、二回目以降には、最初に聴いた時には聴き逃していた新たな発見があるかもしれないし、飽きた後でも時間を置けばそれまでと同じレベルの快が再び得られるようになるでしょう。それと同じことが、スポーツ・ゲームの観賞やプレイにも言えると考えています。

「新奇性」は確かにスポーツやゲームにおいて、非常に重要な要素であると言えるでしょう。しかし、スポーツ・ゲームならではの美的経験を構成するものは、新奇性以外にもたくさんあると、私は考えています。

参考文献

Russell, J. S. 2024. “Boredom, Sport, and Games.” Journal of the Philosophy of Sport 51 (1): 125–44.
Danckert, James and Eastwood, John D.. 2020. Out of My Skull: The Psychology of Boredom. Cambridge MA: Harvard University Press.
Russell, J. S. 2024. “Boredom, Sport, and Games.” Journal of the Philosophy of Sport 51 (1): 125–44.
Sutton-Smith, B. 1997. The Ambiguity of Play. Cambridge MA: Harvard University Press.

美学者とは

「美学者」とは、「美とは何か」「芸術作品はどのように評価されるのか」「感性による判断にはどんな特徴があるのか」といった問題を哲学的に探究する研究者です。近年では、ゲームの体験やデザイン、スポーツや身体表現、さらにはSNSなど、従来は「美学」とはあまり結びつかなかった分野にまでその探究範囲が広がっています。哲学や芸術学と深く関係しながら、現代社会のあらゆる「感性の問題」に光を当てるのが、美学者と呼ばれる人々なのです。

美学者の役割

  • 【美的判断】なぜある人が「美しい」と感じる対象を、別の人は「そうでもない」と思うのか
  • 【芸術作品の価値】作品が私たちの感性に与える影響を、どう評価し、言葉で説明できるか
  • 【日常の美】ファッションやインテリアなど身近なところに潜む「美しさ」をどのように考えるか

こうした問いに取り組むのが美学者の役割です。近年では、ゲームの体験やデザイン、スポーツや身体表現、さらにはSNSなど、従来は「美学」とはあまり結びつかなかった分野にまでその探究範囲が広がっています。哲学や芸術学と深く関係しながら、現代社会のあらゆる「感性の問題」に光を当てるのが、美学者と呼ばれる人々なのです。

【PROFILE】

美学者|上野 悠 | うえの ゆう
北海道帯広市出身。早稲田大学文学研究科博士後期課程在籍。専門は、ゲーム研究、美学。主な論文に、「個人的なものとしてのゲームのプレイ: 卓越的プレイ、プレイスタイル、自己実現としての遊び」『REPLAYING JAPAN 6』、「ゲームにおける自由について──行為の創造者としてのプレイヤー──」『早稲田大学大学院 文学研究科紀要 第68輯』。ゲームとファッションとタコライスが好き。





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上野 悠

美学者

美学者|北海道帯広市出身。早稲田大学文学研究科博士後期課程在籍。専門は、ゲーム研究、美学。主な論文に、「個人的なものとしてのゲームのプレイ: 卓越的プレイ、プレイスタイル、自己実現としての遊び」『REPLAYING JAPAN 6』、「ゲームにおける自由について──行為の創造者としてのプレイヤー──」『早稲田大学大学院 文学研究科紀要 第68輯』。ゲームとファッションとタコライスが好き。

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