【連載】美学者 上野悠の「美学でひもとく世界」
美的性質と非美的性質の線引き問題

美的性質とは、その名の通り、美的なものが持つ特有の性質のことです。わたしたちは、美術館の絵画を見て「優美だ」という判断を下したり、週刊誌の表紙を見て「猥雑だ」という判断を下したりします。このとき、「優美」や「猥雑」だとかいうような、判断の対象に帰属される特別な性質のことが美的性質です。
この美的性質ですが、美学の議論において特に問題となるのが、美的でない性質──非美的性質との「線引き」です。これに関して、フランク・シブリーという強い影響力のある美学者は、美的性質と非美的性質が線引き可能であるということ前提にして、美的性質は非美的性質を基盤にして成り立っているということを主張しました。例えば、優美な絵画の優美さは、その作品特有の線の描かれ方や、色彩の使われ方といった非美的性質によって成立しているというわけです。この見解は美学においてかなり広まっています。
しかし、最近になってこの広まった前提に異議を唱えようとする人が出てきました。トロント大学のソニア・セディビーは、美的性質と非美的性質を線引きするような、普遍的な原理は存在しないのだと主張します。
美的性質の歴史的文脈への依存
まず、セディビーがそのようなことを主張する背景には、美的性質の歴史的文脈への依存性があります。彼女は、このことをケンダル・ウォルトン(1970)とアーサー・ダントー(1981)による有名な議論を参照して説明しています。

ウォルトンは、個々の作品の美的性質の一部は、歴史的な芸術カテゴリーに依存すると論じています。例えば、ピカソの『ゲルニカ』の美的性質は、異なる文脈において異なる芸術カテゴリーに属することで変化します。「絵画」というカテゴリーのもとでは、ゲルニカは動的で活力に満ち、暴力的であるような評価が下されます。一方で、「立体的に成形された作品群のカテゴリーであり、その隆起した表面はすべて、ピカソの『ゲルニカ』と同様の表面色彩と形状の配置を持つ」というように設定された「ゲルニカ」という架空のカテゴリーのもとでは、ゲルニカは退屈で味気なく、控えめであるという評価を下すことができます。ウォルトンの主張は、美的性質の一部は、そのような歴史的カテゴリーにとって「標準的・可変的・反標準的」な条件や性質に依存し、そうした規範的性質は社会的文脈や実践に固有であるというものです。

一方で、ダントーは、高次カテゴリーである「芸術」に関心を寄せ、美的性質はこうした高次カテゴリーに固有のものとして解釈されます。彼の美的性質に関する説明は、芸術作品を意味を体現するものと捉え、その美的性質は具現化されている意味に不可欠であるとする、関係性と歴史性に基づく芸術の定義に組み込まれています。アンディ・ウォーホルの作品『ブリロ・ボックス』とふつうのブリロの輸送用段ボール箱のように、形状、サイズ、色彩の配置といった感覚的性質を共有する「見分けがつかない」芸術作品と人工物の組み合わせは、その作品が少なくとも部分的にはその意味によって、似たような段ボールの箱と区別されることを示しています。『ブリロ・ボックス』の内容は、その作品が置かれた歴史的・理論的文脈によって決定され固定されるのです。
セディビーは、こうした歴史主義的議論はいずれも、少なくとも一部の美的性質が、色や音などの単純な非美的性質ではなく、個物が属するカテゴリーに固有の非美的性質に依存することを示唆している点を強調します。ウォルトンによれば、少なくとも一部の美的性質は、個々の作品の媒体・ジャンル・様式における規範的性質に依存します。同様に、ダントーによれば、芸術作品の美的性質は、工芸品(あるいは自然物)とは対照的に、芸術作品としての同一性条件を示している性質に依存します。なぜなら、これらすべてが単純な感覚的性質(色や音など)を共有することがありうるからです。

セディビーは、ウォルトンとダントーの議論は、美的性質が歴史的に多様であるだけでなく、「異質」でもあることを示唆していると主張します。カテゴリー依存的な美的性質の完全な特徴付けには、それが属する容易に識別可能な一般的カテゴリー(自然物か人工物か芸術物か、など)と、より具体的なカテゴリーが含まれます。
また、不協和音や刺激臭といった美的性質は、私たちが聴いたり嗅いだりするものに特有の性質であり、これらは美的性質の不均質性を示す例となりうります。このように、さまざまな芸術分野に目を向けると、作品が関与する異なる感覚様態に伴う異質性も見出される。不協和音のような美的性質は音楽などの芸術形式に特有なものであるわけです。
また、芸術媒体の開放性は、美的性質のカテゴリーごとの異質性をさらに強調します。例えば、映画出現以前には不可能だった、動画特有の美的性質が、映画出現以降には幅広く利用可能となります。「フェードアウト」などといった編集効果に関する美的性質群は、動画の出現によって初めて可能となり、こうした効果は映画やビデオといった動画特有のものです。この点は、人工物や建築環境、さらには新たな活動といった、私たちが作り出す他のあらゆるものにも当てはまります。

セディビーは、上記のことも含めた、歴史依存性に訴えることによって、シブリーが、知覚するのに「趣味」の発揮が必要か否かによって、美的性質と非美的性質が区別されうると示したことを否定しようとします。特に、セディビーが否定しているのは、美的性質の持つ「付随性( supervenience )」です。付随性とは、付随するAの性質に差異が生じるには、付随される(基底となる)Bの性質に差異が生じなければならないという、性質の集合またはクラス間の関係を指します。
美的性質が歴史的・状況的事実に依存する限り、対象は構造的/低次の/外観的性質といった基盤となる非美的性質では類似していても、それに付随する美的性質では異なる可能性があるのです。
美的性質の特定
セディビーは、以上のことから、美的性質が広範な文脈に位置づけられた、多様な非美的性質を有する個々の事物の持つ性質であるとする個別主義的見解を支持すると述べます。では、結局、どの性質が美的であるかは、どのように把握すればいいのでしょうか。彼女は、文脈依存性を強調しつつ他の美的概念や事柄に訴える方法が可能だと主張します。非美的性質を美的性質から区別できるとすることが否定されるならば、 他の美的事柄に訴える、より複雑な方法で美的性質を特定することを検討しようというわけです。
セディビーは、美的性質の核心の一部は、それらが美的価値に寄与することであると言います。彼女は、マザーシル(1984)とウォルトン(2008)の美的価値論を参照し、これらが異質で歴史的に依存する美的性質を特定・特徴付ける方法を提供してくれるのだとしています。

マザーシルは、美的価値があらゆる種類の個体——芸術作品、人工物、人物、自然物——に内在し、それらが単一の経験において把握される際に発見されると論じています。彼女は「美」に焦点を当てることで、美や美的価値に普遍的な法則や原理は存在しないという個別主義的立場を展開しています。それによると、美的性質とは、個別の経験や判断において把握されるものであり、個人が美しい、あるいは美的価値があると見なす対象に固有のものであり、美的価値を持つ対象が私たちに感じさせる(あるいは感じさせる力を持つ)快楽や影響に対して因果的な役割を果たす、というものであることが示唆されます。
ウォルトンは、一階の欲求について二階の欲求を持つのと同様に、美的評価は一階の評価や価値に関する二階の評価的態度であると示しています。具体的に言うと、美的評価とは賞賛や評価的歓喜の態度なのです。 私たちは(一次的)価値を持つものを見出すことに喜びを感じ、美的評価は何かを賞賛するという自らの態度そのものへの喜びを含みます。このような喜びは単に引き起こされるだけでなく、「適切」である必要があります。
マザーシルの個別主義的理論では、非美的性質とは個人の美的価値に寄与する性質以外のものを指します。これは非美的性質の独立的特徴づけではありません。一方で、ウォルトンの高次的説明は、彼が言う「一階の価値」と「二階の美的価値」への貢献度合いによって非美的性質と美的性質を区別することで問題を複雑化しています。非美的性質とは、二階の美的価値と性質を持つ個々の事物の、一階の価値に寄与する性質です。したがって、美的/非美的性質の個別的区別には、各事例における一次的価値と二次的価値の関係性を含意するという追加的な複雑さが伴うことになります。非美的性質が美的性質との関係性を有するのは、個々の事物の持つ一次的価値への貢献によってこそなのです。
以上のように、セディビーは、個別主義的または高次の美的価値論へのアプローチが、多様で異質かつ歴史的に依存する美的性質をどのように特徴づけられるかを示してきました。セディビーはー上記二つの理論の混合、すなわち、ウォルトンによる美的価値の特徴づけを修正しつつ、マザーシルが主張するような美的価値や美の判断が個々に異質であることを強調するというアプローチです。彼女は、これらの詳細の検討を今後の課題であるとしています。
参考文献
Sedivy, Sonia. 2025. “Rethinking Aesthetic Properties: An Argument for Aesthetic Particularism.” Journal of Aesthetics and Art Criticism 83 (4):297-309.
美学者とは
美学者の役割
- 【美的判断】なぜある人が「美しい」と感じる対象を、別の人は「そうでもない」と思うのか
- 【芸術作品の価値】作品が私たちの感性に与える影響を、どう評価し、言葉で説明できるか
- 【日常の美】ファッションやインテリアなど身近なところに潜む「美しさ」をどのように考えるか
こうした問いに取り組むのが美学者の役割です。近年では、ゲームの体験やデザイン、スポーツや身体表現、さらにはSNSなど、従来は「美学」とはあまり結びつかなかった分野にまでその探究範囲が広がっています。哲学や芸術学と深く関係しながら、現代社会のあらゆる「感性の問題」に光を当てるのが、美学者と呼ばれる人々なのです。

【PROFILE】
北海道帯広市出身。早稲田大学文学研究科博士後期課程在籍。専門は、ゲーム研究、美学。主な論文に、「個人的なものとしてのゲームのプレイ: 卓越的プレイ、プレイスタイル、自己実現としての遊び」『REPLAYING JAPAN 6』、「ゲームにおける自由について──行為の創造者としてのプレイヤー──」『早稲田大学大学院 文学研究科紀要 第68輯』。ゲームとファッションとタコライスが好き。













































