「子育てしながらできる仕事を考え、立ち上げたのが『農場ピクニック』でした。起業して10年。子どもの手も離れつつあるので次の10年を見据えた動きをはじめます」と目を輝かせるのは、日本で初めての畑ガイド「農場ピクニック」を運営する「いただきますカンパニー」の井田芙美子代表。今では、テレビ番組のコメンテーターもこなす井田さんが描く、十勝の観光業の未来予想図「暮らせる農業=いただきますランド」とは……。
PROFILE
井田 芙美子 | いだ ふみこ 株式会社いただきますカンパニー 代表取締役
1980年生まれ、北海道札幌市出身。食べることと子育てが趣味2児の母。高い空と広い大地にあこがれて、帯広畜産大学に進学。高等学校教諭第一種免許(農業)取得。羊飼いを目指して牧場実習に明け暮れ、羊のいる景観や羊毛を活かしたグリーンツーリズムに関心を持つ。農場の景観や農家の暮らしの魅力を感じ、農業をガイドする仕事ができないかと考える。帯広畜産大学卒業後は、足寄少年自然の家、然別湖ネイチャーセンター、十勝観光連盟、ノースプロダクションを経て2012年3月独立。子ども達が安心して生きられる30年後を創ることが自分の使命と感じ、起業を決意する。
畑ガイドを立ち上げたきっかけは、私が起業した理由にも繋がります
唯一無二の観光スタイルとして十勝に定着しつつある「農場ピクニック」。生産者(以下、あえて農家さんと呼ばせてください)からすれば「農場は人の口に入る物を作る場所」であり、防疫の観点からも自由に入ることはできません。それでも、広大な畑の中を歩いたり、どうやって農作物が作られているのかを見てみたいとは思いませんか?
娘さんと一緒に登壇したセミナー記事は以下です。
そんな思いを具現化したのが今回の主人公である、井田芙美子さん(いただきますカンパニー代表)です。
約10年前、日本で初めて、普段は入ることの出来ない十勝の畑を「畑ガイド」が案内する「農場ピクニック」をはじめ、今では世界中から「十勝の畑を見たい」と観光客、修学旅行、企業研修など、さまざまな人たちが訪れているそう。
先ずは、どうして畑ガイドをはじめたのか、そしてワンオペ育児をしながらも起業という道を選択した当時の井田さんの心境から紐解いていきましょう。
「畑ガイドを立ち上げたきっかけは、私が起業した理由にも繋がります。ひとつは農業のありのままを伝える手段として、『畑ガイド』の力で十勝の農業を知ってもらい、畑でランチやおやつを食べながら学べる観光ツアー造成が、私の“やりたい”だったからです。そして、もう一つが子育て。当時は今よりも女性がキャリアを生かして働ける環境が少なく、子育てとの両立は難しいという時代。出産に伴い仕事を辞めることもしばしばでした。それでも私は両方とも諦めたくなかったんです。ワンオペ育児を続けながら、これまで身に付けたスキルを生かして働く方法を考え、辿りついたのが『創業』でした」(井田さん)
井田さんが創業に至るには、もう少し背景を探る必要があります。
井田さんが育った家では、1頭の羊が届くと父親が慣れた手つきで解体する。これが日常の風景でした。
「サラミは自宅で作るものだったし、自家製の燻製室に鮭が並ぶのは秋の風物詩。鶏を生きた状態から絞めて食べたこともあります。日本語の「いただきます」という言葉の本来の意味は「命をいただく」ということ。生きる=食べることの意味が込められた言葉なんです」。
そんな井田さんが進学したのが帯広畜産大学でした。大学では、子どもの野外教育プログラムや自然体験ボランティア、羊牧場の実習体験など数多くの「自然」「農業」に関する多くを体験。この頃から農業に関わりながら「起業したい」とも思ったそう。
卒業後は、少年自然の家で就業。語学と農場実習のため海外留学も経験し、「将来の独立のためにやりたいことを全部やっていきました」と独身時代を振り返ります。
2歳の娘に畑のチカラを教えてもらいました
農業に携わること約10年。「もっと農業を伝えるには観光分野を学びたい」と門を叩いたのが「十勝観光連盟」でした。同じ頃、プライベートでは結婚、出産というビッグイベントを迎えますが、前述の「女性がキャリアを生かして働ける環境が少なく……。」という障壁が立ちはだかります。
「1人目の出産後、長期育児休暇が取れず、産後4ヶ月で職場復帰するも、子育てとフルタイム勤務の両立に苦労しました。まさに、自分の努力だけではどうにもならないことに疲弊し、ついには、子どもに八つ当たりするまで精神的に不安定になりました。2人目の出産後、出張の多い観光の仕事は続けられず、退職せざるを得なくなってしまったんです」(井田さん)
限界を感じた井田さんですが、2つの可能性が彼女を救います。
「畑の可能性を確信したのは、かつての小麦畑での体験でした。小麦の生産管理をするためにトラクターが通る道、通称『防除畝(ぼうじょうね)』。初めてその畝を歩いた時、畑の中から見る景色のあまりの壮大なスケールと美しさに言葉にならない衝撃を受けました。その時です。『十勝の畑の楽しみ方がまだ知られていないだけ。この景色の中を歩くという体験の価値を理解してくれる人は必ずいる』と確信したんです。でも、農家さんは日々の農作業が忙しくて観光客の対応をしている時間がないし、収入が大きい農家さんが、わざわざ副収入のために時間(農場観光)を費やすとは思えない。そうであれば自分がやろう!私なら伝えられる!と思ったんです」(井田さん)
2つ目の確信は、子育て中の出来事だったと井田さんは話します。
「2歳になる娘が、畑で土のついたカブにかぶりついたんです。それまで食卓に上がっても食べなかった娘がです。畑のチカラを知った瞬間でしたよ。その際に決意したのが『子どもたちのためにも、畑の価値を伝える事業を私がやらなければ誰がやる』でした。仕事も子育てもどちらも諦めず、どちらも自分らしくありたい。そうあるために、自分がいなくても回る仕組み(プロガイドが畑をガイドする)を考え、経営と子育てができる環境をつくりました。そのために事務所も自宅の2階にしたんです」。そうして導き出したのが「創業」だったそう。
子どもたちのためにも私がやらなければ誰がやる
「(畑のガイドを立ち上げる際)100枚は事業計画書を作りましたよ。それが今の結果につながっているんですね」
幼少期の思い出、子育て、社会人としての経験。すべてを諦めずに生きることを決断して、継続してきた井田さん。
開業当初は「自分一人が食べられれば良い」という気持ちだったそうですが、帯広市の「フードバレーとかち」の取り組みや、日本国政府が国を挙げて観光立国に進むことで制度も拡充。時代の後押しもあってか、順調に「畑のガイド」事業が成長し、社員も増えていきます。
とはいえ、順風満帆だったかというとそうでもありません。
冬季の収入減や観光業界の天敵ともいうべき、災害や社会情勢の悪化は、否が応でも影響を及ぼしました。井田さんの起業後、十勝地方では台風による土砂災害や北海道胆振東部地震の後に起きた“ブラックアウト”、そして、新型コロナウイルス感染症の影響による行動制限などなど、次々に襲いかかる困難。
「そんな時に助けてくれたのが出前授業や教育旅行などの『食育事業』でした。起業してすぐに金融機関からの『冬場はどうする』という課題に向き合ってきてよかった。何があろうと教育は止まりませんから」(井田さん)
これも、当時2歳だった娘さんに気づかされた「子どもたちのためにも、畑の価値を伝える事業を私がやらなければ誰がやる」という想いがあったからこそ誕生した事業でした。
「農場ピクニック」を立ち上げて10年。参加する人たちからは「農業は仕事も大変で、後継者不足や肥料の高騰など課題の多い職業だと思っていましたが、違いました。農家さんは明るく元気で、そして日本の食のために汗をかいていました」や「ここで収穫された生産物が東京に住む、私たちの身近なスーパーにも並んでいるんですね。十勝と東京は繋がっていることに驚きました」など、新しい十勝のイメージや縁を感じる声がとどきます。
「受け入れてくれる農家さんも、『普段、直接触れることがない消費者の姿や声を聞けて、仕事へのやりがいにつながっています』とまさにwin-winなんです」と今日一番の笑顔を見せてくれた井田さん。
そんな井田さんの次なる野望とは……。
子どもの頃の夢「いただきますランド」を実現させます
日本人なら誰しもが使い続けている「いただきます」。日本特有の挨拶で、山の頂に宿る稲作の神様への感謝の心を表す言葉に由来するそう。社名「いただきますカンパニー」には、井田さんの食の農業への感謝の気持ちが込められているのでしょう。
そして、この感謝の気持ちを具現化する形となるのが、次なる野望「いただきますランド」です。
「いただきますランドは、子どもの頃からの夢なんです。スローライフに憧れる人って多いと思うんですが、実際の田舎暮らしって少しもスローライフじゃなくて、大変なことの連続ですよね。とはいえ、田舎で自然とともに暮らすことの憧れは捨てたくない!農作業、雪かき、DYIなどなど、全てを一人でやるのが厳しいのであれば、シェアしちゃえばいいのでは?という思いから生まれた夢です。農場の中に賃貸住宅があって、そこに暮らす皆で労力やコストをシェアするんです。農場に人がくれば、何かを販売してもよいですし、私は子どもを預かれるサマーキャンプのような事業をやりたいんです」(井田さん)
井田さんの夢「いただきますランド」は、まさに「暮らせる農場」。農村風景を見ながら「暮らす」は、誰しもが憧れるスローライフ。それを一人ではなく、皆で協力しながら実現するという発想。井田さんが起業した際に悩み導き出した「子育てしながら仕事もする」を誰もが実現できる王国です。
「起業から10年が経ち、新たな10年で夢を現実にする環境が整いはじめたんですが、同時に私の子育ても終了間近なんです。数年で子どもたちは私の元を巣立ちます。子どもたちからも宣言されちゃいました」と笑いながらも少し寂しげな井田さん。
それでも子どもの頃から描いた夢「いただきますランド」は、井田さんが60歳になるまでに実現すると決めているそうで、「実現には10年はかかりそうなので、逆算すると50歳頃には着手しようかなと思っています。子どもが巣立つまではもう少し、できるだけ子どもと一緒にいたいかな」と最後まで子どもファーストを貫く井田さん。
短いインタビューでしたが、井田さんを一言で例えるなら、「有言実行」あるいは「夢を夢で終わらせないスーパーウーマン」でしょうか。
お忙しい中、インタビューを引き受けてくれた井田さんへの感謝を綴りながら筆を擱きたいと思います。
井田さんありがとうございました。「いただきますランド」の実現を楽しみにしております。