地元紙に載っていた「保険代理店が帯広市内の全小中学校にサッカーボールを寄付」という見出し。保険代理店がなぜ寄付を?!と思ってインタビューにのぞむと、各学校の要望にあわせた職場体験・出前授業、食育をテーマに地元食材でモンブランを作る授業を提供するといった予想とかけ離れた事業を展開しており、驚愕。早速、株式会社北海道パートナーズとかちの川合佑介代表にインタビューを申し込むと、『ひろい大地で、大きな夢づくり –民間企業が十勝の子どもたちのためにできること–』という書籍を4月30日に発刊するタイミングでした。一体、彼らはどんな会社で何を目指しているのでしょう。
保険屋さん同士が出会って起業、ちょうど1年で書籍を発刊しました
出会い頭の開口一番、「当社は学校の先生方を支援する会社です」と話したのは、株式会社北海道パートナーズとかちの川合佑介代表。
インタビューする前に調べた際は、保険の代理店業が本業だったはず。
詳しく聞くと「弊社の事業は『二本柱』で、1本目の柱は生命保険、損害保険業務で、個人や法人のお客様に合った商品を提案する保険代理店業務や、資産形成のコンサルティング。そのほかに、保険の仕事と並ぶ2本目の柱として地域貢献活動を掲げ、十勝地域の小中学校の児童・生徒を対象に、職業体験の受け入れや出前授業を行っているんです」と真面目に話す川合代表。
2つの共通点があまり見えない中、話を掘り下げようとすると「実は今度、本を出版するんことになりました。私たちの思いや、これまでやってきたことを全て書きました」という。
そんなわけで、今回のインタビューは、『ひろい大地で、大きな夢づくり – 民間企業が十勝の子どもたちのためにできること -(ワニブックス刊)』の共同著者である、株式会社北海道パートナーズとかちの川合佑介代表と丹羽祐介営業本部長の2人の生い立ちと、なぜ書籍を発刊するに至ったのか?保険屋さんがどうして学校の先生を支援するのかを本のネタバレをしない程度に聞きました。
保険を売るだけじゃつまらない!~十勝の学校を回って出前授業をはじめました~
以下、一問一答
――2023年に設立した北海道パートナーズとかちとは?
(川合)私たち「北海道パートナーズとかち」は、帯広市を拠点に2023年3月に起業した社員6名の会社です。保険代理店の事業と同時に、地域貢献事業として帯広・十勝地域の小中学校で出前授業や子どもたちの職場体験の企画と運営をしています。代表取締役の川合とビジネスパートナーであり、本で対談もしているのが、営業本部長の丹羽祐介です。
私と丹羽は、一般社団法人帯広青年会議所の集まりでたまたま出会い、一緒に起業をしました。出身が同じ外資系の生命保険会社に勤めていたことがあり、価値観等が似ていたので、お客様に提案を行うのであれば、なるべくベストの提案ができる生命保険会社や損害保険会社と乗合おうと決め、現在は7社と乗合い、個人、法人のお客様それぞれのニーズに合う保険商品を提案させて頂いております。
起業と同時に力を注いだのが、帯広十勝の小中学校の児童・生徒・先生を対象に、職業体験の受け入れや出前授業を行う地域貢献活動です。後者は直接的な収益はありませんが。当社にとってはもう一つの本業なので、会社としてはこの2本柱で活動しているんです。
――なぜ地域貢献を事業の柱に添えたのですか
(川合)とても良い質問をありがとうございます。もちろん、会社経営ですからしっかりと収益を上げることを疎かにはしていません。しかしながら、ただ単純にあがった利益をの一部を還元するということは、ありきたりで、とてもつまらない経営だと考えています。
私たち「北海道パートナーズとかち」は、十勝帯広の皆様にとって「愛されて選ばれる」会社を目指しています。「先生を支援する会社」というからには、すべての現場をまわらせて頂き、話を聞いてきました。そしてその過程で、多くの先生が困っていることを目の当たりにしてきました。微力かもしれませんが、私たちにできることをすることで、先生方やその先にいる子どもたちを少しでも喜んでいただければと思っています。地域貢献活動はその柱です。弊社にとって欠かせない事業だと考えております。
(丹羽)その証拠に、創業日と同日の2023年3月1日、当社は北海道教育庁の十勝教育局と「家庭教育サポート企業等制度の協定」を締結させて頂きました。学校の先生は、ただでさえ忙しく、時間・人脈・予算がないという状況です。
ただ、子どもたちと普段向き合う先生には「愛情」があります。子供たちのために、より良い授業をしてあげたい、こんなことをしたらより良い教育ができるのではないかと考えている先生が、十勝帯広にはたくさんいます。そういった現場の声を聞き取り、私たちは外部の民間企業だからこそできる授業の実践、支援、あるいは場合によっては寄付をすることによって、学校の先生の課題を解決することに力を注いできました。先生方の熱い気持ちを形にすることで、中札内・帯広から始まり、今は十勝管内の80を超える小中学校で職業体験や出前授業を展開することができました。
締結からの1年だけでもいろいろな企画をしてきましたが、例えば中学校では、実際に生徒たちが架空の企業を起業するという総合的な学習の時間にアドバイザーとして参画をしたり、小学校ではダンスの先生を派遣して全校生徒でダンスバトルを行ったり。共通しているのは、私たちが企画書を提出しているのではなく、現場の教員の方々から相談をいただいて、形にしているということです。
――どうして、得意分野である金融系以外にまでやろうとしたんですか
(川合)確かにそうですよね。一般的に、保険屋さんが学校で出前授業となると、ファイナンシャルプランナーのような「お金に関するいろいろ」といったものがイメージしやすいと思います。もちろんそこは狙いのひとつでしたが、私たちは普段職員室に出入りをして、教員の方々と直接コミュニケーションを取らせていただくと、前述した通り、教職員の先生方が様々な問題を抱えており、支援をもとめている現状を目の当たりにしてきました。私たちは先生たちの生の声を頂戴し、形にすることで、少しでもお役に立てればと思い、地域貢献活動がスタートしました。
――それでも、御社がやらずとも良い気もします
(川合)少し、話を遡ると、2020年に総合保険代理店とコンサルタント会社を退職するタイミングで、会社設立を考えている際に、十勝で地方創生を掲げているベンチャー「株式会社そら」に入社しました。米田代表に提案をし、家庭教育サポート企業の締結を進め、学校へ出入りするために是非締結を結んでほしい旨、話を伝えたところ、米田代表も快く快諾してくださいました。
ちょうど調印式が行われたのが入社して2か月目。
その際にお会いしたのが中札内村の上田禎子教育長でした。上田教育長とのお話を通じて、学校現場の様々な課題を知り、私自身教員を目指していた過去もあり、現場の声を聴きたいと思いました。課題は様々ありましたが、当時もっとも解決すべきことは、コロナ禍で学校と地域のつながりが断ち切られた状態になっていたこと、これをもう一度つなぎ合わせることだと感じました。想像している以上に、教育現場にとっては、かなり厳しい状況になっていると問題意識を持ちましたね。
それから中札内村の小学校中学校を回るようになり、帯広市も同じような流れで各学校に伺いました。中札内が4校、帯広が39校。合わせて43校すべてひとりで回りヒアリングをさせていただきました。
――十勝中を回って課題を聞いて回ったんですか!?
(川合)はい、先生からは様々な要望をいただきました。例えば「料理を作るシェフがどんな仕事かを子どもたちに知ってもらいたいと思ってもツテがない。だからシェフなど料理をされている方がいれば紹介してほしい」といったご要望をひとつひとつお聞きする。そして、実際にそのお仕事をしている人を連れてきて職業の講話をしてもらいます。ただ、子どもたちの心に残る職場体験先をお願いしたいのですが、コロナで受け入れてくれる企業がなく、どうしたらいいだろうという悩みもありましたね。
学校の先生を支援するために経営している北海道パートナーズとかちとは?
(丹羽)僕から言うことではないですが、川合は学校の先生に憧れていたからと教育に関して熱量が半端ないんです。
(川合)はい。大学も北海道教育大学岩見沢校に、教員を目指して入学しました。先生を目指し勉強していたのですが、ふとある日「このままの大学生活でいいのかな?」と思うことがあり、思い切って一年間休学し、にインターンとして1年間、プロサッカークラブ「FC岐阜」の立ち上げにいきました。そこで、当時ゼネラルマネージャー(GM)をされていた今西和男さんと出会い、出会い「教員になる前に社会を知ったほうがいい」と教えをいただきまして、卒業後は民間企業で働く進路を選び、いまに至っています。
今西GMは、日本で最初のサッカークラブGMと言われており、現日本代表監督の森保一監督など、多くの指導者を輩出した日本サッカー界の功労者です。
――なるほど、そういったことが本に書かれているのですね。
(丹羽)ぜひ読んでいただけると嬉しいです。経営において、一見遠回りに思えることも、愚直に活動することで支持を得られることが、この一年通じて学ぶことができました。また十勝には魅力的なビジネスマーケットがあります。やり方さえ間違えなければ、東京より稼ぐことができると思います。ぜひ、手に取っていただけると嬉しいですね。
――改めて2人の経歴と出会い、そして本を出した経緯を教えてください。
(川合)私は岐阜県出身で、繰り返しにはなりますが北海道教育大学で教員を目指しておりましたが、一年通った大学二年生に上がる前、休学してFC岐阜でのインターン経験を積みました。たった一年でしたが、この経験が私のキャリアにおける転機であり原点となりました。サッカークラブでのインターン中には、スタッフとして様々な業務を経験し、中日新聞でコラム連載などもしていただきました。学生時代の経験は、私の営業力の基盤を作ったとも言えます。
その後、新卒で株式会社AIRDOに入社し、岩見沢で外資系生命保険会社、総合保険代理店、コンサルタント会社を挟み、冒頭お話した通りで、地方創生ベンチャー「株式会社そら」の保険代理店部門設立のため、十勝の地に足を踏み入れ、「家庭教育サポート企業等制度の協定」の提携を機に、教育の現場とつながりました。
昨年度より一般社団法人帯広青年会議所にも入会させて頂き、会社とは別の観点から地域課題の解決のため事業・例会に参加してきました。今年度は、日本青年会議所にも出向させていただき、2週間に1回東京にいっておりました。そのときに縁あって、ワニブックス編集長の岩尾さんと出会い、弊社の活動を本にしませんか?とお話を頂いたわけです。
前職の外資系保険会社で“強烈”な印象を残した営業マン「川合」と丹羽が出会い起業した理由とは
――丹羽さんはいかがでしょう。何より、川合さんとの出会いは?
(丹羽)帯広生まれ・帯広育ちで、帯広柏葉高校を卒業後、初めて十勝の外へ出て札幌の北星学園大学に進学しました。大学時代は、どこにでもいるいたって普通の大学生。しかし、新卒でセイコーマートに入社してからは、’稼ぐ’ ということの大変さを実感しました。セイコーマートではスーパーバイザーとして、お客様の数を増やす方法に集中し、マーケティングなどを学びました。その後、一条工務店に転職し、注文住宅の営業を担当することで、個人のお客様に直接提案を行い、個人営業が向いていることを認識しました。その経験を生かして外資系生命保険会社へ転職しました。
私が転職した頃には、川合は外資系保険会社を退職しておりましたが、その実績は北海道の営業本部中で知れ渡っていました。「紹介だけで営業していすごいやつがいた」「地元出身じゃないのに、契約件数がぶっ飛んでいた営業がいた」「北海道の20代でマネージャーをしたやつがいた」と、当時の入社直後研修で話をされたことを覚えています。その時は、研修で、出てきた“そのすごい方”が川合だったとは全く知らなかったのですが、保険外交員としてデビューしてすぐのころ、なかなか結果が出ずにいたとき、たまたま一般社団法人帯広青年会議所の新入会員予定者委員会で隣の席になり、まさかあの研修で紹介されていた“噂の強烈な”方が、川合だったとは、そのとき知りました。
当時、同じ「ゆうすけだね~」なんていう話で盛り上がったことを、今では懐かしく思います。
そこから、帯広青年会議所活動の目玉である帯広の氷祭りの運営をしながら、川合とさまざまな話をしたことを覚えています。その当時、川合はそらの退職を決めており、帯広十勝で起業をする準備をしているときだったので、「流石だなあ」と思っていました。もちろん、保険代理店と地域貢献活動事業の話を聞いて、チンプンカンプン。
それからわずか2ヶ月後、まさか一緒に「一緒に北海道パートナーズとかち」を立ち上げることになるなど夢にも思っていませんでした。笑
――そして、十勝全土の学校を巻き込んだ、怒涛の出前授業を経て、この本を執筆に至ったわけですね。
(丹羽)本当に怒涛の数か月間でした。もちろん起業してからも怒涛の毎日でしたが、本の出版に至っては、川合から「ワニブックスの書籍編集部の編集長・岩尾雅彦さんと繋がって、本を出すから、一緒に書こう」と2023年の年末に言われ、24年4月発刊ですよ。早すぎます。笑
ただ、地に足を付けた話をするのであれば、私たちが目指すべき姿は、都会にいる方々にとっては、珍しく映ったのではないでしょうか?
全国的に見ても、学校現場はどこも大変です。私たちは、民間企業として学校を支えることで、全国にこの活動が広まるといいなと思っています。
(川合)これこそがベンチャー企業のいいところかと思います。スピード感、意思決定の速さ、目指すべきことの明確化、行動力の原点、私たちの真の狙いなど本にまとめさせていただきました。民間企業、株式会社は利益を追求しますが、その利益を少しだけ教育という先行投資に使うことで、会社のブランディングにもつながります。一見、遠回りに見えることも、最後は返ってくると信じてこれからも活動をしていこうと思います。
ぜひ、手に取っていただけると嬉しいです。
PROFILE
川合 佑介 | かわい ゆうすけ
1987年9月10日、岐阜県岐阜市生まれ。岐阜県立長良高等学校卒業後、教員を目指し北海道教育大学岩見沢校に進学。大学1年生の時に休学をし、当時JFLに所属していたプロサッカーチームFC岐阜へインターンシップをし、マネージャー、営業を経験。2007年J2へ入会後、大学へ復学し、サッカーの1級審判員を目指して活動するも不合格。大学卒業後は株式会社AIRDO、外資系生命保険会社、株式会社FPパートナーを経て、帯広の㈱そらへの転職をきっかけに帯広・十勝へ移住。生命保険代理店の設立業務にあたり、部門を引き継ぐ形で2023年3月㈱北海道パートナーズとかちを設立。(一社)帯広青年会議所 ジェネレーション開発委員会 副委員長として、青少年育成事業にも携わる。
丹羽 祐介 | にわ ゆうすけ
1988年4月27日、北海道帯広市生まれ。帯広市立柏小学校、帯広市立第四中学校、北海道立柏葉高等学校と地元で育ち、2009年北星学園大学への進学をきっかけに札幌へ移住。卒業後は株式会社セイコーマートへ入社し、SVとして店舗運営を学ぶ。その後、不動産管理会社、株式会社一条工務店、外資系生命保険会社と、営業職としてサラリーマン経験を積む。子どもが生まれることをきっかけに地元の帯広市へ戻り、(一社)帯広青年会議所への入会を通じて川合と出会う。2023年3月に株式会社北海道パートナーズとかちの創業へ参画した。人材採用をはじめ、帯広・十勝の学校での出前授業・職場体験の内容構築・調整を担当。創業1年目で60を超える事業を企画した。(一社)帯広青年会議所の一員として61年の歴史があるおびひろ氷まつりの運営に携わる他、有志で別団体を立ち上げ、子ども食堂を定期開催するなど、地元帯広・十勝への地域貢献活動を軸に営業を行っている。