帯広で映画を観た!シネマ de 十勝は、帯広で働く腐女子。「総統」と呼ばれた女子が、身の回りの幸せ(美味しいご飯・趣味・脳内妄想など)で足るを知る小市民として、十勝の観光文化検定(とかち検定)上級合格の実力を発揮しつつ、帯広・十勝の話をしつつ、映画を語るコラムです。
前回のコラム「帯広で映画を観た!」はコチラ
涙腺崩壊でした!!
「浅田次郎か!?」とばかり、要所要所で周囲からもすすり泣きの音が聞こえてくるという。
徹底的に泣かせにきている映画でした。
家族が死と隣り合わせという話のため、登場人物たちもよく泣きますが、そのシーンで観客ももらい泣き。
予告編や宣伝で使われているシーンとセリフが、来ると分かっていても危ないという点では、歌舞伎の人情物のような趣すらありました。
私も、若い時は尖っていたし人前で泣くとかそういうのはダサいと思って斜に構えていたし、その感覚が分からなかった者で、「そういうの無理」という人向きの映画ではありません。
ただ年を取ったせいか、角が少し取れてきたのか、何度か身内の死を経たせいか、こういう話にはめっきり弱くなりましてね!
楽しいとか痛快とかエンタメ系の作品は多くても、これでもかと泣かせに来る映画を見たのは久しぶりな気がします。
原作はノンフィクション作家・清武英利『アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録』。
(清武さんというと作家というより、巨人の球団代表――からの渡邉恒雄を告発した人の印象が強い)
株式会社東海メディカルプロダクツ会長・筒井宣政氏の実話が元になっています。
(映画の中では「坪井家」の物語に)
心臓病を持って産まれた次女・佳美が「余命10年」を宣告され、どんな医療機関にも治せないという現実を突きつけられた坪井家。娘を助けたい一心で、小さな町工場を経営する父・宣政(大泉洋)は、人工心臓の開発に挑戦する――。
予告編で大丈夫そうとは確認済みでも、例え苦手っぽくてもこの映画は行かざるを得なかったんですけどね!
なぜなら我らが北海道のスター・大泉洋主演作品だから!!
敬称はつける?つけない?
さて、これまでのコラムでは迷いながらも人物に「さん」をつけてきました。(邦画の場合)
突然ではございますが、敬称ルールを変更させていただきます。
「さん」付けなしに違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが。
例えば、新聞報道などマスコミ関係だと、一般人は「さん」付け、有名人には付けない――呼び捨て=著名人のステータスというルールで運用されています。
(「さん」を省くとテレビ・ラジオ欄で一人でも多く名前を詰め込めるから、などと聞いたものの理由はよく分かっていません)
なので映画評とか雑誌でも敬称略ルールが多く、それに慣れているため洋画関係者は自然と呼び捨てになっていたものです。
ただ日本人関係者だとしっくりこなくて、何となく呼び捨てにし難かった。
そんなこんなで、不統一のまま進んでいました。
『帰ってきた あぶない刑事』の時は「今まで敬称略にしてこないでよかった〜」と安堵したわけですが、今回から多くの映画評にならい、全て敬称略で行こうと思います!
なぜなら大泉洋は「大泉洋さん」ではなく「大泉洋」と呼びたいから!
(何も知らされていない場合は「大泉さん」と呼びたいなど、細かな使い分けはあります)
当家の母「息子がいたらこんな子供が欲しかったランキング」ナンバーワン!
『水曜どうでしょう』も、出演ドラマの数々も、今や母の方が見ているけれども!!
「『SONGS』や『紅白の司会』おめでとう!」の本音が「そのまま終了後、あのメンバーの出迎えを受け、連れ去られてほしい」という不純な気持ちであっても、陰ながら活躍を応援しています。
「あの独特の語り口調といい、何を演じていても大泉洋に見える!」など、正直俳優として上手いのかどうかもよく分からないんですが
(『ミッション・インポッシブル』や『トップガン』シリーズのトム・クルーズとか、『ジョン・ウィック』や『マトリックス』シリーズのキアヌ・リーブスのような、本人の顔が見えるのとはまた別種の何かが、ある)
「何を演じていても大泉洋」は『ディア・ファミリー』でも健在でした!
しかも「当て書きで脚本が書かれているのかしら?」と思えるほど、いい方の意味で発揮されていました。
役者と役柄がとてもよく馴染んでいて、菅野美穂も福本莉子、川栄李奈も、登場する全員がすごく良かった。
髪型もメガネも服も、時代を感じさせるのに、みんな昔のオシャレさんで素敵でした。
(実年齢は娘さん達の世代で、私より一回り上くらい)
若い俳優さんでも、今で言ったら「ダサメガネ」をかけているけれど、次女・佳美の幼少期を演じた子役・鈴木結和のメガネ姿はとても可愛いらしかったです!!
『ディア・ファミリー』
主人公・坪井宣政が、父親から継いだ工場の大きな借金を、アイデアと努力で返済したエピソードから始まるように、どんな困難な状況でも解決方法を模索し続ける、「絶対にあきらめない」前向きな家族の物語でもありました。
映画ラストでの妻・陽子(菅野美穂)のセリフは、そんな前段があってこそ効いてくる。
所々「そうはならんじゃろ」という映画的な進行もありますが、話を盛り上げるための創作として「全然あり!」と私は受け止められました。何しろ主人公が大泉洋ですから!
(逆に、実話がベースでない創作物でなければ「そうはならんじゃろ」と言われそうな部分もありましたが。実話、強い)
フィクションではあっても「実際にあった本当のお話」ベースだからこそ、将棋の藤井聡太八冠のように実在の人物の方が創作物を凌駕していく、人間の強さが物語の根底から感じられたように思います。
特に、主人公夫婦が「プランAがダメならプランBに」と前向きな気質だからこそか、余命を宣告された次女ですら常に夢と目標を持って端正に生きている姿が印象的でした。
ちなみに本編についてはネタバレになるから何も言えないようで、映画を見た後でよく見てみると、割と公式サイトがラストの全てを語り尽くしている気がします。
冒頭でも述べましたが、歌舞伎と一緒で、ストーリーを知っているからといってこの物語が堪能できないわけでは全くないのですが、そこまで言っちゃっていいんだという……。
ともあれ、もし自分がその立場だったなら「何をする?」「どこに行きたい?」「なぜベストを尽くさないのか?」と突きつけられているような、改めて背筋の伸びる思いがしました。
北海道・音更町のハナック
「どこに行きたい?」に応え、映画の中では別の場所を訪れていましたが。
ネット記事に掲載された実際の筒井家(愛知県)の家族旅行の写真の一つを見て、軽く驚きました。
訪問地の一つに北海道・十勝らしきものの風景があったからです。
あれは恐らく、北海道・音更町のハナック。
似たようなものは、ありそうでなかなかないはず。
というのも、この直径18mの巨大花時計はかつてギネスブックに掲載されたものです。
モール温泉で有名な十勝川温泉エリアの「十勝が丘公園」内にあります。
スロープがあって車椅子で上がれるようになっているものの、徒歩で歩くとなると駐車場から花時計まで多少距離と傾斜があり、ゆるくはない観光スポットです。
(そんな坂道でも登ろうとするのが、映画の中の佳美さんではありました)
ご家族が写真を提供されていただけあって「がっかりスポットだった」という感想だとは思えないので、北海道まで来て足を運んだ甲斐があった、と思ってもらえたなら嬉しいことです。
個人的な縁としては、高校時代の「強行遠足」の目的地が、ハナックのある十勝が丘公園でした。
片道約10㎞を歩いて行き、昼は公園内の平地でジンギスカンを焼いて食べ(鍋やコンロをお肉屋さんが配達してくれるサービスがある)、公園内のアスレチック遊具で遊んで(これは自主行動)、再び歩いて帰るという……名に恥じない「強行」感あるイベント……。
ちなみに今ある遊具は小さな子供向けになっているだけで、いくらアホな高校生でも、写真の遊具で「ヒャッハー!」したわけではありません。
昔はもっと素朴というかより単純というか、重い丸太に縄をかけてあって、梃子の原理で持ち上がるか引っ張る。
そんな遊具(?)が重さ別で並んでいるとか、そんな感じだったように記憶しております。
しかし『ディア・ファミリー』の中でも描かれていたように、三尖弁閉鎖症とまでいかなくても、昔は他の子が当たり前にできることが同じようにできる子ばかりではない、という認識が薄く、あまり周囲に許容されなかったなーとか。体の弱い人間には色々と肩身が狭くて生きづらかったことを、映画を見て思い出しました。
みんなが当たり前にできることができなかった子供だったからこそ余計に、佳美さんに共感し、しみる部分があったのかもしれません。
「毎日学校に来い」「休むな」と言われましても、小児ぜんそく児、煙モクモクの職員室に入ったらまた発作起こすし入院するやん、という不条理。
他の作品でもそうした描写はありますが、公共の場でタバコを吸うことは悪いとか遠慮すべきという認識はなく、昭和の人は公共交通機関や職場、職員室であってもタバコを吸うことができたし、それが当たり前でした。
副流煙といったものの認識が広まり、他者への配慮がなされるようになってきたのは有り難いことですし。
個人的には、もう一回学生時代をやり直したいとか、あの時代に戻りたいとは思わないものの。
その一方で、デメリットを勘案した上でタバコを嗜好する人達が過剰に追いやられたり、映像作品の中でそうした過去の光景がなかったことのように、現代基準に合わせて改変されるような風潮にはなってほしくないとも望んでもいます。