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美学者 上野悠の「美学でひもとく世界」| 達成的価値VS美的価値  ──C・ティ・グエンとトーマス・ハーカによるゲームの価値を巡る論争 030

【連載】美学者 上野悠の「美学でひもとく世界」

ゲームはただの娯楽、そう思われがちですが、哲学や美学の領域で考えてみると、意外な発見がたくさんあります。いったい、ゲームはなぜこんなにも私たちを惹きつけるのでしょうか。大学院で「ゲームの哲学」を研究している美学者・上野悠が、ゲームをめぐる最新の思想を紹介しつつ、その魅力を多角的に掘り下げます。

ハーカによるグエンへの批判

C・ティ・グエンはゲームの哲学で著名なアメリカの哲学者で、この連載でも何度も取り上げてきました。その理論については第1回目の記事で詳細に取り上げていますので、詳しい解説はそちらを見ていただきたいと思いますが、グエンの論の中心にあるのは、「努力のプレイ」(striving play)という概念です。

ゲームプレイに従事している間、プレイヤーはゲームの目標、つまりは勝利を非常に強く気にしながらプレイしますが、この「目標」は一時的に措定されているものにすぎず、ゲームが終われば目標への関心は消えてしまいます。というのも、こうしたプレイヤーは目標を設定することで可能となるような「奮闘(struggle)」そのものに興味があるからです。こうしたプレイの在り方を、グエンは「努力のプレイ」と呼びます。

さて、グエンのこの分析は、バーナード・スーツによるゲームプレイの定式化、いわゆる「スーツ的ゲーム」の理論を下敷きにしたものなのですが、ハーカはある点において、グエンはスーツとは異なる見解を提示していると言います。

それは、ゲームプレイの中心的な価値とは何なのか、ということに関する見解です。ハーカ曰く、スーツはこの点において「達成的価値」とする立場をとっています。

ゴルフやロッククライミング、チェスといったような、単なる娯楽ではなく、時間や努力といったリソースをささげるに値するような「まじめな」ゲームは「困難」が伴われます。したがって、それらにおいて成功すること、あるいは単に上手くプレイすることでさえ、「達成」と呼ばれるような内在的価値を伴うのです。

ポイントとして、この価値はゲーム外にも見出せる点が挙げられます。ビジネスの成功などは達成的価値の一つと言えるでしょう。しかしゲームにはそれとはまた一線を画するような純粋な形で存在するのです。例えば、ボールを穴に入れるといった目標は、本質的には些細なものであるため、それを目標とする活動に価値があるとするならば、それは目標を追求するという過程そのものから生じなければなりません。つまり、ゲームが価値を持つのは、達成することが貴重な成果となり得るような、困難な課題を提供してくれるからなのです。

グエンは美的経験に価値を見出している

ハーカによると、グエンはそれとは異なる見解を提案しているのです。それすなわち、ゲームプレイにおける中心的な価値を、自らの行為者性、あるいは行為の優雅さ、優美さ、調和といった美的性質を実現するような美的経験にあるとしているのです。ハーカはこの点を疑問視し、反論を加えようとします。

行為の調和への反論

まず、ハーカはグエンがゲームプレイにおける鑑賞の候補を①行為そのもの(行為の調和)、②行為に至る過程(解決の調和)、③能力と課題の間の調和(能力の調和)の3つに分類している点を指摘し、それぞれについて批判を加えます。

まず、ハーカはグエンが指摘するように、ゲームの行為が独特の美的性質を持つことについては認めます。しかし、それらが実際に、ベートーヴェンの曲のような、およそ一般的に大きな美的価値を持つと認められるものと同等の美的価値を持つことについては疑問視しています。この点に関して、ハーカは、もしゲームが芸術作品の観賞と同程度に価値の圧活動であるならば、その「ギャップ」を埋め合わせるのは達成的価値なのではないかと主張します。

ハーカは、グエンがゲーム行為の美的価値を困難性とは別の根拠として提示しているのに対して、実際には困難さと密接に結びついているのではないかと主張します。難しいプレイと、美的なプレイは同じ「有機的統一」という特徴を持っているのように思われるからです。

しかし、ハーカは、それによって美的経験が独立した価値を持たないということではないと言います。そうではなく、行為の難しさに依存しつつも、それは難しさとは別の、そしておそらくより重要な善となり得るのです。しかし同時に(また、重要なことに)、優美なゲームプレイを称賛する時、私たちがその美的性質に反応しているのか、それとも根底にある困難な達成に反応しているのかという疑問は生じてしまうのではないかと指摘しています。これはかなりもっともなことなのではないかと思います。

また、ハーカは、美しいゲームプレイは通常困難だが、困難なゲームプレイが全て美しいわけではないというこも指摘します。例えば、重量挙げ選手は、正確にタイミングを合わせた脚と腕の動きの連鎖を実行しなければなりませんが(こうした技術は美的性質をもちえます)、同時に純粋な力も必要とします。そして、同じ技術を持つ選手なら純粋に大きな力を持つ方が勝つのです。また、疲労やプレッシャーといった心理的負荷に打ち勝つ能力は、一般的に、スポーツにおいて重要な能力であると見なされますが、こうしたものに美的性質を見出せるかは微妙です。つまり、ハーカはここで、スポーツにおける重要な卓越性のいくつかには美的性質を見出せないという問題を指摘しているのです。

解決の調和への反論

ハーカは次に、グエンがより重きを置いている第二の美的対象、つまり、美しいプレイそのものではなく、そのプレイを生み出す過程──分析・決断・実行のなかで生じるような美的性質──を取り上げます。

一つ目の批判は、なぜゲームの手を選択するプロセスそのものに、経験する価値のある美的性質があると考えるべきなのか、という点です。ハーカは、たとえ美的経験をもたらすとしても、美しいものを生み出すプロセス自体が美しいに違いないと考えるのは誤りであると言います。というのも、多くの場合はそれとは逆に、美的なものが生まれる過程は、誤った方向への逸脱、偶然性、挫折に満ちているからです。これは芸術作品の制作過程を思い浮かべればわかりやすいでしょう。

美的なものを生み出す過程で生まれる価値とは、達成感や、特別な芸術的技能を行使して困難なことを成し遂げたことによる価値であり、それ自体が美的鑑賞に値するとは限らないのです。

第二の反論として、ゲームの手を選ぶ過程は、しばしば経験されるものではないという点が挙げられています。ハーカはここで、ある活動において熟達すればするほど、その活動における行為は意図的でも意識的でもなくなるという考え方を持ち出しています。

ハーカは、グエンがチェスやロッククライミングといった、熟考する余地があるようなゲームをよく例に挙げていることを指摘します。こうしたゲームでは、手番の実行前にどういった手を打つのか選択するための時間があたえられます。しかし野球やフットボールのような連続的なゲームプレイでは、意思決定プロセスは必然的に無意識的なものであり、経験の対象とはならないことが多いと考えられます。したがって、これらのプレイにおいて、グエンが提唱する第二の美的対象への鑑賞は、価値の主要な源泉とはなりえないと結論付けています。

また、ハーカはこの点について、さらにクリティカルな反論を加えます。グエンは時に、この第二の対象を、ゲームの手順を選択する潜在的に複雑な過程ではなく、単にその選択が正しかったという事実、あるいはゲーム状況と調和していたという事実と同一視してしまっていると言うのです。

ハーカ曰く、ここで言う調和こそが鑑賞可能な美的性質であり、それを生み出した過程が意識のうちにないものだしても鑑賞は可能となります。しかし、こうしたゲーム上の決定が文脈と調和したという事実にはそれほどの美的価値はないのではないかと批判しています。

能力の調和への反論

続いて、ハーカは、グエンがゲームプレイの価値に関して最も重要視している第三の美的対象への反論に移ります。第三の美的対象とは、プレイヤーの能力とゲームが提示する挑戦の間の調和です。グエンは、ゲームで勝利するために、持てる全ての能力と努力を総動員する必要があるときのこの種の調和が経験されるとしています。

ここでハーカが批判する点は私自身もかなり共感できるものです。ハーカは、調和そのものに対してはやはりあまり大きな美的価値が見いだせないのではないかと言いますが、それ以上に重要なのは、「能力の調和」においては、初心者も上級者も同程度に享受できてしまう点です。

この見解の問題点として、第一に直観に反する点です。私たちは、初心者のギリギリのプレイと上級者のギリギリのプレイだったら、上級者の方をより高く評価したがるはずです。第二に、この見解をとると、初心者が能力を伸ばしたり、より優れたプレイヤーになろうとしたりする理由がなくなってしまうことです。どれほど熟練しても、その時点で持つ能力の限界を超えて活動することはできず、したがって現在得られる以上の調和価値を達成することはありません。では、なぜ上達に励む必要があるのでしょうか。

また、ハーカは第二の調和のときと同様に、能力が限界まで引き延ばされたときには、みずからの行為を内省するような余裕はなくなるのではないかということを指摘しています。それとは異なり、おそらく一般的かつより容易に可能なのは、活動の終了後にその活動とそれに伴う努力を美的観点から鑑賞することです。

しかし、こうした鑑賞と芸術における美的鑑賞との間には大きな差があります。ベートーヴェンのソナタを聴くときの、最も価値ある部分が、音楽が終わった後に記憶の中で体験を回想するときであるとはおおよそ考えられません。そうではなく、その瞬間は、音楽との直接的な関わりの中で生じるように思われます。もしゲーム行為の美的鑑賞が、その行為が終わった後のみ、あるいは主にそこでしか起こらないなら、それは、鮮明に心に浮かんでいる間に美的対象を鑑賞することではなく、記憶というより淡い媒体を通じて後から行うことになってしまうと、ハーカは指摘します。

グエンによる再反論

さて、このようなハーカによる批判に、グエンはどのように答えるのでしょうか。グエンが第一にあげるのは、伝統芸術の鑑賞がゲームプレイより容易だと考える根拠が不明確である点です。難解な詩を解釈しようとしたり、水墨画の繊細な筆致を理解したりすること困難なことであるというのです。つまり、ここでグエンは、ハーカがゲームの価値を困難さで特徴づけようとするのに対して、困難さはゲームだけでなく、芸術鑑賞にも伴うと反論しているわけです。

さらに重要な点として、グエンは、ゲームが本質的に伝統芸術より美的価値が低いという主張を否定しようとします。グエンは、確かに多くの人々がゲームの美的価値を低く評価しているのは認める一方で、その認識にはいくつかの要因が考えられると言います。

第一に単純な事実として、多くの人々が本質的に豊かな美的価値を持つゲームを実際にプレイしたことがないという点です。どの分野でも、優れた作品を見つけるには相当の時間と労力を費やす必要がありますが、その点において、ゲーム作品のような比較的新しい(あるいは歴史的に排除されてきた)芸術形式においては、そのような探求が行われづらいというのです。

また、たとえ美的に豊かなゲームに出会ったとしても、私たちはその重要な価値ある美的性質を見逃したり、過小評価したりするかもしれません。それは、ゲームをプロセスアートではなく、オブジェクトアートとして見てしまう恐れがあるからです(プロセスアートとは 前編 ──C・ティ・グエンによる行為の芸術論 028

グエンの再反論2

グエンは次に、ハーカの批判を二つ取り上げます。第一に、美しいものを作るプロセスそのものが美しいとは限らないという懸念、第二に、私のプロセス美学の解釈があまりにも広範すぎるという懸念です。

グエンは、これらの批判はすべて一つの共通前提に立脚していると言います。それは、「観客が競技のゲーム行為の鑑賞に見出す美的価値と、競技者がその行為の実行に見出す美的価値との間に、何らかの連続性があるべき」という前提です。グエンはこの前提を拒否、むしろ、ゲームにおいては、観察者の評価とプレイヤーの評価が大きく異なる可能性の方がはるかに妥当であると主張します。

その見解のもとで、グエンは以下の点を自ら認めます。ひとつは、「外部からの観察者にとって美しく印象的な技術である一部の動作は、専門家にとっては自動的なものであり、全く美的価値を持たないかもしれない」点、もうひとつは、「初心者は、専門家にとっては全く問題のない課題に苦戦する経験から、豊富な美的体験を得ているかもしれない」点です。

そして、グエンは後者のような場合、初心者の方が専門家よりも価値ある内面的美的経験を得ているのだと述べます。これこそが、プロセスアートとそれと類似するパフォーミング・アーツとの最も重要な差異の一つなのです。ゲームやその他のプロセスアートにおいては、たとえその苦労が大半の観察者にとってほとんど興味を引かないものであっても、初心者は自らの奮闘から価値ある美的経験を得ることができるのです。

グエンの再反論3

さらに、グエンは、ハーカがゲームの美的価値が難易度と密接に関連していると指摘した点を取り上げます。この見解をとるならば、ゲームプレイの美的価値が難易度価値と相関する限り、達成そのものとゲームの美学のどちらを評価しているのか見極めるのは困難となってしまいます。そうであるならば、達成という観点でゲームの価値を十分に説明できる既存の理論があるのに、なぜ奇妙な美学理論に固執する必要があるのか、というのがハーカの批判でした。

グエンはまず、「困難な闘争のみが美的価値を持つ」という見解を持っていないという点を強調します。そうではなく、グエンは、ある美的性質は困難と結びつくが、別の性質(たとえば「優雅さ」など)は容易さと結びつくと考えているのだと言います。また、それ以外にも、単純な課題を遂行できないという惨めな失敗や、飲酒ゲームやその他の愚かなゲームに見られるような喜劇的な美的性質など、グエンはゲームの美的性質として、さまざまな種類のものを想定しています。

しかしながらグエンは、ゲームの重要な美的性質の一部は難易度と密接に関連していることを認めます。非常に難しいゲームを攻略したり、手強い相手を打ち負かしたりすることには独特の味わいがあるのです。

したがって核心は、ハーカが提示したような「プレイヤーはなぜその困難に取り組むのか」という問題に集約されることとなります。ハーカが正しければ、困難を克服することそのものの達成が価値であり、美的要素は時折添えられる飾りでしかないことになり、グエンが正しければ、困難と美学の密接な結びつきは、困難な行動においてのみ、あるいは特に生じる価値ある美的経験の存在に起因することになります。

グエンはまず、もしハーカが正しいなら、困難さそれ自体がゲームプレイを価値あるものにするのに十分となるだろうことを確認します。すると、同程度の難度を持つ全てのゲームは(多少の差はあれ)ほぼ同等の価値を持つことになる。しかしグエンは、ゲームプレイに難度が伴うにもかかわらず、その経験が全く満足できず、ほとんど価値を持たないような事例が数多く存在することを指摘します。言い換えれば、難易度の美学に関心を持つ者にとって、難易度そのものは価値の必要条件ではあるが、十分条件ではないということ、つまり、美しい難しさもあれば、退屈な難しさもあるのだというのです。

グエンはこの点がハーカへの大きな反論になると考えます。ハーカの見解が達成中心である限り、ほぼ同程度の難しさのゲームに対する評価が大きく異なることを説明できないのです。もっといえば、あるプレイヤーが、より高い難度のゲームよりも低い難度のゲームを価値あると評価することを説明するのが困難になります。しかし一般的に言って、ゲームプレイヤーは「難しいゲームは退屈だが、この別の易しいゲームは魅力的だ」だと評価することは大いに考えられます。つまり、多くのゲームプレイヤーにとって、美的価値を見出すことは難易度を見出すことよりも価値があると結論付けられるのです。

スーツ的ゲームは達成中心?

さて、今回は、ハーカによるグエンのゲームにおける価値論への批判とそれへのグエンの応答をあつかいました。議論の中心となっているのは、ゲームにおける中心的価値を達成に見出すか、美的経験に見出すか、という問題です。

グエンの解答は部分的には上手くいっているように見えますが、両者の議論は少しすれ違っているようにも思えます。というのも、ハーカはあきらかにチェスやスポーツといった、いわゆる「スーツ的ゲーム」にしぼって問題にしているのに対し、グエンはもっと広い範囲のゲームを問題にしているように思えるからです。

それは、グエンがハーカの「上達しようとする欲求をどう説明するのか」という問題に対し、あまりうまく答えられていない点に現れています。グエンは難易度の問題に対し、必要条件であって十分条件ではないというもっともな指摘をしていますが、「同程度の難しさのゲームに対する評価が大きく異なることを説明できない」というのはあまり有効な反論ではないように思えます(そもそも、ハーカが「困難さそれ自体」が価値の源泉であるとしているという全店もちょっと微妙な気がします)。というのも、ここでは明らかに「スーツ的ゲーム」以外のもの──おそらくは1人用のゲーム作品──が想定されているからです。

とはいいつつ、ゲームプレイの価値を美的経験に置こうとするグエンの主張には同意したいところです。だとするならば、解決方法としては、ある特定のゲームにおいては「上達するにつれて、あるいは上達の過程を経て、美的経験の価値が大きくなる」ということを認め、そのメカニズムを明示することなのではないでしょうか。

美学者とは

「美学者」とは、「美とは何か」「芸術作品はどのように評価されるのか」「感性による判断にはどんな特徴があるのか」といった問題を哲学的に探究する研究者です。近年では、ゲームの体験やデザイン、スポーツや身体表現、さらにはSNSなど、従来は「美学」とはあまり結びつかなかった分野にまでその探究範囲が広がっています。哲学や芸術学と深く関係しながら、現代社会のあらゆる「感性の問題」に光を当てるのが、美学者と呼ばれる人々なのです。

美学者の役割

  • 【美的判断】なぜある人が「美しい」と感じる対象を、別の人は「そうでもない」と思うのか
  • 【芸術作品の価値】作品が私たちの感性に与える影響を、どう評価し、言葉で説明できるか
  • 【日常の美】ファッションやインテリアなど身近なところに潜む「美しさ」をどのように考えるか

こうした問いに取り組むのが美学者の役割です。近年では、ゲームの体験やデザイン、スポーツや身体表現、さらにはSNSなど、従来は「美学」とはあまり結びつかなかった分野にまでその探究範囲が広がっています。哲学や芸術学と深く関係しながら、現代社会のあらゆる「感性の問題」に光を当てるのが、美学者と呼ばれる人々なのです。

【PROFILE】

美学者|上野 悠 | うえの ゆう
北海道帯広市出身。早稲田大学文学研究科博士後期課程在籍。専門は、ゲーム研究、美学。主な論文に、「個人的なものとしてのゲームのプレイ: 卓越的プレイ、プレイスタイル、自己実現としての遊び」『REPLAYING JAPAN 6』、「ゲームにおける自由について──行為の創造者としてのプレイヤー──」『早稲田大学大学院 文学研究科紀要 第68輯』。ゲームとファッションとタコライスが好き。




























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上野 悠

美学者

美学者|北海道帯広市出身。早稲田大学文学研究科博士後期課程在籍。専門は、ゲーム研究、美学。主な論文に、「個人的なものとしてのゲームのプレイ: 卓越的プレイ、プレイスタイル、自己実現としての遊び」『REPLAYING JAPAN 6』、「ゲームにおける自由について──行為の創造者としてのプレイヤー──」『早稲田大学大学院 文学研究科紀要 第68輯』。ゲームとファッションとタコライスが好き。

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