【連載】美学者 上野悠の「美学でひもとく世界」
香水を美学する

皆さん香水をつけたことはありますか? 日常的につけるという人はあまりいないかもしれませんが、香水をつけると何か特別な気分になれたり、自分により自信が持てたりしますよね。自分のお気に入りの香りを纏うというだけでもプラスの気分になりますし、その人らしい香りを演出できている人はかなりおしゃれな人に思えます。
このように、香水は「嗅覚」にはとらえることのできる「美的対象」としての視覚が十二分にあるように思われます。しかし、「香水の美学」の研究にはほとんど蓄積がありません。その理由のひとつは、香水というものの捉え難さにあるでしょう。
そんな香水について美学的に検討しようとした研究があります。 Madeline Martin-Seaverは、香水が哲学の対象としてあつかわれてこなかった理由を説明し、むしろそのことを香水という美的対象の特徴づけに利用しようとします。
香水は「変化」する
マーティン゠シーバーは、香水の基本的特性が哲学的な無視の一因となっている可能性が高いと主張します。その特徴とは、「変化」です。香水のあらゆる経験には構造化された香りがその基盤にありますが、その構造は人によって異なります。結果として、同一の香水が異なる美的経験を生み出してしまうのです。

このような根本的な変化は、香水は共有可能な美的経験を提供できないのではないかという疑念を招きます。しかしながら、マーティン゠シーバーは、香水の鑑賞コミュニティのメンバーたちは、自分たちが共有可能な美的経験について議論していることに自覚的であり、こうしたコミュニティを真剣に受け止めるべきであると主張します。彼女は、香水鑑賞が「変化」を考慮に入れつつ、共有された美的対象を特定するための協働的鑑賞実践を発展させていると論じます。彼女が言うには、そうした協働を通じて、香水愛好家たちは他者の香水経験に対する認識を深めていくのです。
瓶の中身の変化

まず彼女は、「瓶の中身」が変化することについて論じます。彼女はゲランの『シャリマー』とディオールの『ミス・ディオール』という香水を例に挙げ、このことを説明しようとします。マーティン゠シーバー曰く、シャリマーが時間の経過に伴う香水の変化の肯定的例であるのに対し、『ミス ディオール』は否定的例であるという点で両者は異なります。
マーティン゠シーバーは、こうした変化は二つのカテゴリーに分類できると言います。そのカテゴリーとは「濃度」と「配合」です。濃度の変化とは香水の「強さ」を指し、持続性、拡散性、あるいは提供する香りの豊かさに影響を与えます。配合の変化とは、それを構成する成分、あるいはその比率が変化したことを意味します。
香水には、オリジナルから派生した別バージョンである「フランカー」と呼ばれるものが存在します。このフランカーは公式が明確に「再調合」であることを示していますが、香水はオリジナルの調合から、告知されずに再調合されることもあります。例えば、シャリマーにはオリジナルにはあった「アンバーグリス」が含まれていないそうです。この成分の原料はマッコウクジラからとれるのですが、現在では商業捕鯨が禁止されたために、入手コストが高いうえに、イメージ的にも好ましくなくなってしまったためです。また、現在では「ミス・ディオール オリジナル」と名前を変えたミス・ディオールも、発売以来、香水製造技術や規制の変化に伴い再調合されています。しかしながら、マーティン゠シーバーは、シャリマーは依然としてそれ自体として語られる一方で、ミス・ディオールはそうではないと指摘しています。
さらに、調合の変化以外にも、香水瓶には時間とともに、様々な化学変化が生じ、その液体が提供する美的経験を変える可能性があります。香水に賞味期限はありませんが、その香りは時間とともに変化していってしまうのです。
香水の「変化」

マーティン゠シーバーは香水における変化は、映画や絵画などの、他の芸術形式における変化とは違うものであることを指摘します。
ほかの美的対象も香水と同様に変化するものの、香水の場合は、変化の普遍性が香水を特徴づけているのです。香水の愛好家は、マーティン゠シーバーが論じたような(美的経験の変化を含む)変化から新たな香水が生まれるとは想定しません。彼らは差異を注意深く観察する一方で、変化を理解し経験するために協働し、それによって香水を完全に味わおうとするのです。香水の変化は、断絶の連鎖ではなく連続的なものとして理解されるのです。
変化の追求
マーティン゠シーバーいわく、香水愛好家は、変化が香水の本質的な魅力の一部であると捉え、その普遍的な変化に積極的に向き合っているのです。これは確かに、他の芸術形式にはあまり見られない傾向と言えるでしょう。ふつうは、香水の例ほどの変化が生じた場合、その芸術作品は「別バージョン」として。関連性はあるものの、完全に別個のものとしてみられるでしょう。

彼女が言うには、シャリマーへの美的関心は、しばしば配合や濃度の変化に連動しています。それと対照的に、ミス・ディオールは不幸な事例であり、変化が多すぎて鑑賞が追いつかないのです。個々の香水ボトルに生じる変化はどちらの方向にも起こり得るが、香水愛好家は自らその変化を発見したがるのだと思われるのです。 この許容範囲の変動はあるものの、ミス・ディオール(オリジナル)はそれを超えてしまった可能性があると考えられます。
身体との関連による変化

さらに香水は、それをたのしむ個人間の間でも変化があります。マーティン゠シーバーはこれを、ラルティザン・パフュームの『ジング』と、ズーロジストの『ビーバー』を挙げて説明します。
ジングは、古書店、畜舎、サーカスの軽食、毛皮のコートという少なくとも4つの子アリを生み出します。多くの人にとってジングは、古書店の心地よい香りのように無害なものですが、人によっては畜舎の不快な香りを放ち、耐えがたいほどとなってしまいます。マーティン゠シーバーはこの香水を10年以上着用しており、毛皮のコートのような香りだと感じているそうです。このように、香水がもたらしうる全ての経験が相互に共有できるわけではないのですが、他者の経験を聞くことで、こうした異なる香りの経験にアクセスすることができると彼女は言います。

では他者の身体で嗅いだ場合はどうでしょうか。マーティン゠シーバーは、ビーバーの場合、友人同士で共有することで、異なる香りの経験が生まれたと言います。そして、おもしろいことに、ビーバーの場合、香りの経験は嗅ぐ人ではなく、ビーバーを身に付けた身体によって変化したのです。彼女が言うには、4人の友人で共有した際、ビーバーは全員に3つの異なる体験をもたらしました。このように、ビーバーの場合は、他者の身体で香りを嗅ぐことで、香水のもつポテンシャルを完全にひきだすことができたのです。

このように、香水には、舞台芸術における「タイプ」と「トークン」のちがいや、演者の存在と似たところがあります。しかし、香水の場合は、許容されるトークンの幅は舞台芸術より広いため、独特の捉え難さがあるのです。また、香水は、先ほど述べたように、タイプそのものが変化することもあります。
そこで、マーティン゠シーバーが考える、香水を鑑賞対象として捉える一つの方法は、感覚的経験(sense experience)に重きを置くというものです。しかし、その香りの経験に原則として信頼できるアクセスが得られない場合、あるいは複数の異なる香りの経験が存在する場合、香水鑑賞は完全に主観的で、許容できないほど運に依存しているように見えかねません。
曖昧さを受容する
上述の説明は、香水愛好家たちがこうした変化に対処する方法を既に示唆しています。そこには、概して二つのアプローチがあります。一つは、 香水との長期的な関係を築くこと(ボトルが数十年も持つことを考えれば容易である)で、もう一つは、他者の香水経験にアクセスすることです。
どうやら個々の香水(特に名作や人気作)の味わいには「正解」が存在するようで、香水愛好家たちはこれをその香水を「理解する(getting it)」と呼んでいるそうです。「理解する」とは、単に好みが変わる、あるいは判断が変わることではなく、感覚的経験の変化です。

彼女が言うには、それは明確に他者の経験に依存しています。香水愛好家たちは、こうしたを経験をとらえる、あるいは自らの経験を共有する様々な方法を持っており、友人と香水を購入しに行ったり、オンラインでレビューしたり、香水ブログや掲示板を訪れて投稿したりします。このように、香りの鑑賞には「他者」と「香りの経験」、そして「他者の香りの経験」が包含されているのです。
このように、協働を通すことで、香水愛好家は香水が鑑賞に課すべき多くの課題を克服しているように見えるとマーティン゠シーバーは考えます。彼女は、協働は、対象物に対する異なる経験を認め、さらには評価しつつも、共有される美的対象を生み出すことができると強調します。他の美的実践にも協働的要素は存在しますが、その協働の性質と変化への注目度は香水の場合とは異なります。香水は、他の多くの美的対象が持つ、あるいは持つように見える明確な境界を欠いており、その境界を探求することが香水鑑賞の大きな部分を占めているのです。
香水が生み出す「親密さ」

マーティン゠シーバーはこうした共有経験の特徴を明らかにしようとします。彼女は、香水鑑賞は、第一に身体的実践であるため、第二に協働的であるために、「親密な実践」であると言います。協働は香水の持つ普遍的な変化から生まれ、主観性と他者への注意を強調します。協働のこうした側面から親密性が生まれるのです。香水鑑賞における親密性とは、香水が表向きの障害(共有不可能性)を美的機会へと転化する一つの方策となります。
まず、身体的実践として、香水は物理的な親密性を生み出します。 香水愛好家の間では、他人の腕を鼻元に持ち上げたり、自分の手首を相手の鼻先に差し出したりすることで生まれる身体的近接性から親密さが生まれることがあります。
ではなぜ、このようににおいを共有しようとするのかというと、まず、他者と美的を経験を共有しようとするときの一般的な理由づけがありますが、香水特有の理由も二つ存在します。第一に、これまでマーティン゠シーバーが論じてきた「変化への自覚」、第二に、香水の選択は自己理解の表れであるという点です。多くの着用者にとって香水は自己概念の一部であり、他者を惹き付けるためでなく、自らの趣味を主張し、特定のアイデンティティを表現する者として評価されることへの希求でもあるのです。だからこそ、香水鑑賞においては、香りだけでなく他者をも鑑賞するよう招かれるのです。
香水には個人的で私的な側面があるにもかかわらず、それはすぐに共有された美的経験となります。参加者は香りの経験を共有したり、それぞれの経験の違いを指摘したりすることができます。そうして、個々の経験の特異性を表現し説明することで、他者にも理解可能で共有可能なものとするのです。そのようにして、他者が香りの経験の一部となり、香りの変化を発見する手助けとなります。こうした実践をマーティン゠シーバーは「親密なもの」として特徴づけようとしているのです。
参考文献
Martin-Seaver, Madeline. 2025. “Change is Central to Perfume Appreciation.” Journal of Aesthetics and Art Criticism 83 (2):114-127.
美学者とは
美学者の役割
- 【美的判断】なぜある人が「美しい」と感じる対象を、別の人は「そうでもない」と思うのか
- 【芸術作品の価値】作品が私たちの感性に与える影響を、どう評価し、言葉で説明できるか
- 【日常の美】ファッションやインテリアなど身近なところに潜む「美しさ」をどのように考えるか
こうした問いに取り組むのが美学者の役割です。近年では、ゲームの体験やデザイン、スポーツや身体表現、さらにはSNSなど、従来は「美学」とはあまり結びつかなかった分野にまでその探究範囲が広がっています。哲学や芸術学と深く関係しながら、現代社会のあらゆる「感性の問題」に光を当てるのが、美学者と呼ばれる人々なのです。

【PROFILE】
北海道帯広市出身。早稲田大学文学研究科博士後期課程在籍。専門は、ゲーム研究、美学。主な論文に、「個人的なものとしてのゲームのプレイ: 卓越的プレイ、プレイスタイル、自己実現としての遊び」『REPLAYING JAPAN 6』、「ゲームにおける自由について──行為の創造者としてのプレイヤー──」『早稲田大学大学院 文学研究科紀要 第68輯』。ゲームとファッションとタコライスが好き。





































