帯広で映画を観た!シネマ de 十勝は、帯広で働く腐女子。「総統」と呼ばれた女子が、身の回りの幸せ(美味しいご飯・趣味・脳内妄想など)で足るを知る小市民として、十勝の観光文化検定(とかち検定)上級合格の実力を発揮しつつ、帯広・十勝の話をしつつ、映画を語るコラムです。
前回のコラムはコチラ
というくらいメジャーなものに気後れし、敬遠したくなるマイナー志向の人間です。
しかし本作は、ゴジラとか特撮とか興味無いという人にも推せる、2時間のエンターテインメントとして、とても良くできた作品でした!!
VFXとか技術的なことはよく分からないですが、すごく画面なじみがよくて自然です。
ゴジラという架空の怪獣が「自然」とか「お前は何を言っているのだ?」と思われるかもしれませんが。再現ドラマやアニメに出てくるヒグマの浮いている感とは真逆でした。
ゴジラの咆哮、足音の響きなど含め、ぜひ映画館で見てほしい作品です。
ゴジラ生誕70周年記念作品『ゴジラ -1.0』の舞台は1945年〜1947年の日本
戦後、何もかも失った無(0)どころか、何とか日々生きる努力をし、ようやく希望の兆しが――と思ったところにゴジラ! ハードモード過ぎます。
ロシアを刺激するのを恐れ、マッカーサーから「自国のことは自分たちでなんとかしろ」と言われた設定ですが!
武装解除された日本、ゴジラと戦えるほどの兵器もなく、如何ともしがたい状況です。
そんな状況下で、映画のキャッチコピー「生きて、抗え」どころか、ゴジラ相手に生身の一般人、どうやったら生きて抗えるの!!??
とビビらされる、政府や政治家・官僚、自衛隊の力を集結させた『ゴジラ VS 日本』でもなければ、別の怪獣とも戦わない、大災害や自然の猛威を思わせる存在としての『ゴジラ VS 一般人』映画です。
焦土になった2年後、復興しつつあると思ったら大災害ゴジラ。
しかしこの「現代から見た安全性や労働基準よりも、納期などが最優先で困難に立ち向かわなくてはならない様式、どこかで見たことある……」と気づきました。
これ『プロジェクトX』!!!???
「よみがえれ日本〜物資なき中の緊急作戦 民間人だけでゴジラを撃退せよ」
男達が立ち上が――よく立ち上がれたね!!??
ちなみに本作品では、主人公たちを追い込むための設定に無理がないわけではないです。
「民間人だけでどうにかしなくてはー」と言っても「ゴジラに対抗するため、連合軍に引き渡し予定だった駆逐艦連れてくるとか、それは公のパワー働いてるでしょう?」とか。
「銀座の服部時計店(TOKYO PX)=現・和光も破壊されてるのに、進駐軍の人も丸の内も無傷ってことある? さすがにそこまでいったらアメリカさん出てこない!?」とか。
多少の疑問が浮かびながらも「そもそもゴジラなる怪獣が出てくるSF映画を見にきて、何を言うのよ」と、私のゴーストが囁くのよ……。
『ジュラシック・パーク』だって、小さいことは金持ちパワーで解決だ!
しかし「この映画、『プロジェクトX』じゃないか!?」と思うと、「そもそも映画だし」「SFだし」「無粋」というだけでなく、上記の疑問も何だかすーっと吞み込める気がしたのです!
「物資の偏向とか理不尽とか、無茶ぶりプロジェクトの時ってこういう負の連鎖起こるよね……」と。
「反戦・反核」「命を大事に!」というテーマは、かつての心身を削った社畜に響きました……。
映画『バトルシップ』の強大な敵(エイリアン)をゴジラに置き換えるなどして、日本の湿度で作ったら、『ゴジラ -1.0』になるんじゃないか、とも思ったくらいです。
多分、『バトルシップ』におけるミズーリのように、戦闘機や駆逐艦が登場するだけで泣ける人はいると思います!(そういう知り合いがいるんですが、高雄は別の意味で泣くと思う……)
結局のところ、脚本は非常にまとまっていて良いんです!!
近年のハリウッドの娯楽作のつくりに近いと感じたくらいで、シンプルで見やすい。
過去作へのリスペクトもありがなら、それまでの作品を知らない人でも、単体で十分堪能できる映画だと思いました。
【映画『ゴジラ -1.0』ここがよかった!オタクポイント3】
①確信のない話を「できる」と安請け合いしない技術者たち
未曾有のプロジェクトに対し、「可能性は高い」「できるかぎりのことはやる」的なことしか言わない。信頼できる。「できます」「大丈夫です」と技術開発や現場を分かっていない人たちに苦労させられてきた人間の解像度が高い。
②主人公とヒロインがお互いを意識し距離が近づいても、キスもしっぽりもしない硬派さ
家族で見ても、気恥ずかしいことにならないので安心です!主人公がゴジラと戦う理由と手を出せなかった理由は、根が繋がっているのもいい!
③ゴジラ相手に覚悟を決めて出撃しつつも、初めて乗った戦闘機を操縦し笑みを浮かべる主人公
主人公・敷島(神木隆之介)は、元特攻隊員で模擬戦では優秀な成績だったという設定です。乗ったことのない戦闘機で慣らし運転をした後、その感触に「フフッ」となる姿に戦闘機乗りの魂を感じました。オタクってそういうところあるよね!
さて、ゴジラの作曲家・伊福部昭氏は十勝と繋がりがあります。
鳥取県・因幡国一宮、宇倍神社の宮司の家系だった父・利三氏が北海道に渡り、音更村(現音更町)村長となり、少年期を音更で過ごしました。その縁で音更町図書館の2階には「伊福部昭音楽資料室」が置かれています。
音更町の「道の駅おとふけ なつぞらのふる里」には、高さ2メートルのゴジラのフィギュアも設置され、その横には誰でも自由に演奏できるグランドピアノが置かれています。
どこから湧いて出るのか、存在しないはずの歌詞が浮かぶ「ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ♪(ドシラ ドシラ ドシラソラシドシラ)」の部分です。
響き渡る銅鑼が攻撃的で不穏だけれど、哀愁だけでなく希望を感じさせる旋律。『ゴジラ -1.0』作品中では、効果的に登場します。
『ゴジラのテーマ』は、映画『スター・ウォーズ』シリーズの冒頭テーマ曲か、はたまた『プロジェクトX』における「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」両方の役割を果たしていると思えるくらい万能です!
ゴジラが空襲を逃れた建物や人々を無慈悲に蹂躙する様は、フィクションでも「何してくれてんの!?」と思う一方で、水戸黄門が印籠を出したり、暴れん坊将軍の「成敗!」くらい、暴れてくれる姿を待ち望み「出たー!!」と期待する部分もあるわけで、それが音と映像の相乗効果で感じられます。
私の「いい映画」基準は、「『家のテレビで見ても十分』ではない何かが提供されている」ことです。
『ゴジラ -1.0』は、響き渡るゴジラの足音や咆哮など、それだけでも映画館でしか得られない滋養が感じられました。(家だと、恐怖感が薄れてしまうことでしょう)
この映画は、ぜひ映画館で体感していただきたいです。(但し、被害者は出ますから列車事故や災害にトラウマのある人はご注意ください)
PROFILE
三崎 裕美子 | 腐女子 / 総統
1980年生まれ。北海道帯広市出身|釧路→新橋のサラリーマン(港区女子)→などを経て基本帯広で働く腐女子。「総統」と呼ばれた女。しかしてその実体は、身の回りの幸せ(美味しいご飯・趣味・脳内妄想など)で足るを知る小市民。十勝の観光文化検定(とかち検定)上級合格。同年生まれのハリー・ポッター氏が通うホグワーツ・スリザリン寮に組み分けされたかったゲラート・グリンデルバルド信奉者。