冷たく、なめらかな口どけとともに広がる、牛肉の深い旨み。
ご飯にのせるだけで特別な一杯になる「牛とろフレーク」は、今や十勝スロウフードを代表する商品です。
その背景には、一頭の牛の死をきっかけに、「命をいただくこと」と真摯に向き合い続けてきた時間がありました。
「どれほど丁寧に育てても、売れ残ってしまえば、その命は活かされない。それは本当に、命を大事にしていると言えるのだろうか」
北海道のとある牧場に、その問いを胸に葛藤していた牧場主がいました。
そして、ある運命的な出会いをきっかけに、物語は大きく動き出していきます。
運命の出会いと困難を超えて――「牛とろフレーク」の誕生
運命の出会いが生んだ「牛とろ」

ある日、牧場主はふとした思いつきで、自分の育てた牛肉を「生のまま」口にしてみました。その瞬間、驚きが走ります。
火を通すよりも、肉本来の旨みと甘みが際立ち、舌の上でとろけるようにおいしい。
「この牛たちの命を、余すことなくいただく方法はないだろうか」
牧場主は、答えを求めて模索していました。そして、運命は動き出します。
打開策を求めていた牧場主は、牧場の牛肉を持参し、畜産大学時代の恩師を訪ねました。ちょうどその日、大学ではイベントが開催されていました。会場には、同じ恩師に頼まれて協力に来ていた十勝スロウフードの先代社長の姿がありました。
この偶然の出会いが、後に「牛とろフレーク」を共に生み出すきっかけとなったのです。
当時、大手食品加工会社に勤めていた先代社長は、牧場主が持参した牛肉を目にして驚愕します。
「手の上で脂が溶けるなんて、ありえない……」
試しに一口食べた瞬間、その味に衝撃を受けました。脂のキレ、肉の香り。同じ畜種の牛肉では考えられないおいしさでした。
「この肉に人生をかけたい」
そう決意した先代社長は、大手食品会社を辞め、牧場主の営むボーンフリーファームで新たな一歩を踏み出しました。
二人が最初に生み出したのは、寿司店向けの生肉商品「牛とろ」でした。サーロインやヒレのような高級部位だけでなく、これまでなかなか買い手がつかなかったモモやバラ肉も、「生でおいしい肉」として市場に評価され始めたのです。
「牛とろ」が畜産大学の学生食堂で提供されるようになると、そのおいしさが評判を呼び、全国の他の大学からも注文が入るようになりました。
人気が高まるにつれ、生産体制の拡大が必要になりました。当初は円盤状だった「牛とろ」を、大量生産と利便性を両立させるため、フレーク状に改良。これが現在の「牛とろフレーク」の原型です。
やがて、週刊誌で芸能人の「お気に入りのお取り寄せ」として紹介されたことをきっかけに、大きな注目を集め、「牛とろフィーバー」が巻き起こりました。
「ご飯にのせてとろける牛肉」という新しい食文化が誕生した瞬間でした。
危機を乗り越えて――新製法への挑戦

2011年4月、全国を震撼させたユッケ食中毒事件が発生。同年に施行された法改正により、牛肉の生食は難しくなりました。
「牛とろフレーク」は当時、十勝スロウフードの主力商品でした。さらに、同年3月の東日本大震災による注文キャンセルも重なり、会社はかつてない危機に陥ります。これから加工食品の生産を拡大しようと新工場兼社屋を設立し、新入社員も入社した矢先のできごとでした。
社員の家族からも「もう会社は続かないのでは」と心配の声が上がるなか、先代社長は決して諦めませんでした。
「社員と社員の家族を守る責任がある」
そう言って、すぐに新しい製法の研究に着手します。生食用として法を順守するには肉を一度加熱する必要がありました。しかしそうすると、牛とろ独自のとろける旨みが損なわれてしまう。
「あのとろける味わいはそのままに、法基準を満たした安全な商品として提供するには、どうすればいいのか」
その答えを求めてたどり着いたのが、生ハム製法でした。生ハムは非加熱食肉製品。肉を加熱せずに塩漬けし、乾燥・熟成させることで風味と旨味を引き出しています。この生ハム製法をヒントに、新しい牛とろの開発が進められました。
牛肉の品種の選定、牛肉を塩につけ込む時間の調整、発色具合……。試行錯誤を重ね、事件からわずか9ヶ月後の翌年1月、長く続いてきた生食用食肉加工を脱し、新製法による「牛とろフレーク」がついに復活を遂げたのです。
先代社長はよくこう言っていました。
「この商品は加熱しない。だからこそ、ひとつの油断が命に関わる」
製造現場では、どんなに忙しくても「手洗い・消毒」を怠ることは許されません。新人教育では次のような言葉で指導されることもありました。
「あなたが手洗いをたった1回怠るだけで、人の命を奪うことになるかもしれない」
牛とろシリーズは非加熱食肉製品であり、加熱殺菌工程がありません。だからこそ、すべての工程で「命を預かる責任」を胸に、細心の注意が払われています。
その徹底した衛生意識と命への敬意――それこそが牛とろフレークを支える「見えないおいしさ」なのです。
牛とろフレークは、偶然の発明ではありません。一頭の牛の死から始まり、命の尊さを知り、理想を追い続けた人々の物語です。
その情熱は今も受け継がれ、北海道の大地から、全国の食卓へ。十勝スロウフードは「ボーンフリー」の精神のもと、「自分の子供にも安心して食べさせることができる」製品を作り続けていきます。
